「今日もサッカー日和」
FIFAバロンドール2011に出席
新年早々のビッグニュースに皆さんも驚かれたのではないでしょうか。なでしこジャパンの澤穂希選手がFIFA女子年間最優秀選手賞を受賞しました。メッシ選手と並んで世界一の選手に輝いたわけです。また、佐々木則夫監督も女子の年間最優秀監督に選ばれました。日本にとってはもちろん、アジアにとって初の快挙で、アジアのサッカー関係者からも「アジアの誇りだ」と称賛されました。
このFIFAバロンドール2011は1月9日、スイスのチューリッヒで行われました。もともと、高校サッカー選手権の表彰式などがあって行く予定にはしていなかったのですが、FIFAのブラッター会長から「来ないの?」なんて言われたものですから、「これはひょっとすると・・・」、なんて密かに期待しながら、澤さんと佐々木監督の付添い役として1月8日、慌ただしく、成田を飛び立ちました。
到着した日、バロンドールの表彰式の前日ですが、この晩は、佐々木監督や澤さんらと夕食を共にしました。この日も縁起を担いでトンカツを食べたかったのですが、現地にはとんかつ屋さんがないということで、ホテルの向かいにあったレストランで、スタッフを含め総勢10人で食事をしました。私と佐々木監督はドイツ風カツレツのシュニッツェルを、澤さんはサーモンステーキを注文しました。どれもものすごいボリュームで、私も佐々木監督も食べ切れなかったのですが、さすが"世界の澤"ですね、大きなサーモンをペロっと平らげていました(笑)。しかも翌日は、早朝からランニング。素晴らしいですね。
FIFAバロンドールの選手・監督部門の受賞者選出は、FIFA加盟協会の代表チーム監督とキャプテン、メディアによる投票で行われるもので、澤選手は28.51%の票を獲得しました。5年連続でトップに君臨していた次点のマルタ選手(ブラジル女子代表)を11.23ポイント離しての受賞。さらに佐々木監督は45.57%もの票を集め、次点の米国のスンダーゲ監督(15.83%)の3倍近い投票を集めました。
表彰式には、早朝のランニング姿と打って変わり、澤選手は振袖姿で登場。美しい日本の着物は、多くの人々の関心を引き付け、大人気でした。澤さんの艶やかな佇まいが日本の存在を強烈にアピールしたんじゃないでしょうか。
今回、日本サッカー協会がFIFAフェアプレー賞に選ばれ、私もトロフィーを与る栄誉に浴しました。これは、東日本大震災の復興支援への取り組みやFIFAクラブワールドカップの運営に携わったことなどが評価されました。
日本サッカーについてFIFAのホームページに記事が掲載されています。その日本語訳を最後に掲載しますので、是非、お読みください。
FIFAの委員会メンバーに13人の日本人
先日、FIFAの委員会の委員が新たに発表されたのですが、今回、最多の13人の日本人が選任されました。
FIFA女子ワールドカップで優勝した時にブラッター会長に「なでしこジャパンが女子サッカーを変えた」と絶賛されましたが、佐々木監督が戦略委員会の委員に選出されました。この委員会は、今後のサッカーの方向性などを議論する場で、世界屈指の監督やOB選手らが顔を揃えています。もちろん、佐々木監督は女子サッカーについて様々な意見や戦略を提案してくれるのではないかと期待しています。
メンバーは、FIFA加盟協会委員会とコンフェデレーションズカップ組織委員会の委員に私が、クラブフットボール委員会にはJリーグの大東(和美)チェアマン、女子サッカー・女子ワールドカップ委員会には土肥美智子さん、タスクフォールフットボール2014、透明性・コンプライアンスタスクフォース、フットボール委員会の委員にJFAの田嶋(幸三)副会長兼専務理事が、クラブワールドカップ組織委員会には電通の村上哲哉氏とJFAの松﨑康弘審判部部長が特別顧問に加わっています。また、U-20女子ワールドカップ組織委員会の特別顧問は田嶋副会長が、審判委員会(競技会担当)の委員には上川徹JFAトップレフェリーインストラクターが選ばれました。
FIFAで日本人が経験を積むことでまた一段と日本サッカーの国際化が進み、「JFA2005年宣言」で謳っている「2015年には世界でトップ10の組織となり」という目標が達成できると思っています。
今年も、代表チーム、組織ともに国際舞台での大躍進を目指します。皆さん、今年も変わりないご支援、ご声援をお願いします。
<FIFAホームページより(和訳)>
最も注目すべきは、これらの功績が想像を絶する自然災害を背景にして達成されたということである。日本は3月11日、壊滅的な地震と津波の影響で甚大な被害を受けた。多くの命が失われ、被災地の惨状は想像を超えるものだったが、国はサッカーを通してある程度の癒しを見つけることができた。
結果も並外れたものであったが、それと同時に、各国を代表する数々のチームが表した威厳や平静も素晴らしいものであった。悲惨で、そこに全てを費やすような状況下の中で、成功を手にするために日本の代表たちは不屈の精神を示した。
日本が表した精神的な強さと勇気は、世界中のフットボールファンの心とマインドをしっかりと掴んだ。
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"私達のサッカーが、将来の選手や子供たちに夢を持つきっかけを与えられていたらと願っています"
FIFA女子ワールドカップ 勝利キャプテン 澤穂希 ********************************************************************************
日本は6月~7月、女子サッカーの強豪・ドイツ、スウェーデン、アメリカに打ち勝ち、初めてFIFA女子ワールドカップの王冠を手に入れたが、この時以上にこれがより良く示されたことはないだろう。
なでしこジャパンは記憶に残るフィナーレで、2回ビハインドになりながらもPK戦でNo.1のアメリカに勝つのだが、その前に、ホスト国・ドイツの、8年間の治世を終わらせる卓越した強さを示した。
日本は、シニアレベルで最初の女子世界チャンピオンとなったことで、メディアや競争相手から広範な称賛を受けただけでなく、確固たるファンを得た。
なでしこはドイツでの大会中、サッカーファンのサポートに対する感謝を表したバナーを掲出した。このバナーはメキシコで開催されたFIFA U-17ワールドカップでも日本チームにより誇らしげに表示された。
キャプテンであり、スターMFの澤穂希はドイツ2011で、苦しんでいる国をサポートする機会だと述べた。大会のアディダスゴールデンボール、ゴールデンブーツ受賞者は、「故郷にいる日本人に強さを与え、勇気づけられれば」と述べた。「私達のサッカーが、将来の選手や子供たちに夢を持つきっかけを与えられていたらと願っています」。
この勝利がなでしこにとって強力な後押しとなり、FIFAランキング初の上位3位入りを導いた。国内リーグで比類ない関心を集めながら日本は勢いを維持し、オリンピック女子サッカー2012ロンドン大会への出場を決めた。
ユースチームもこの成功に匹敵するように、それぞれのFIFAワールドカップに出場を果たし、日本の女性代表は、21競技試合をわずか1敗という成績で1年間を締めくくった。
旗を掲げたのは女性だけではなく、U-17やビーチチームもメキシコとイタリアで開催されたそれぞれのFIFAワールドカップに3月の震災後、参加した。
サムライブルーが記録的な4回目のAFCアジアカップを掲げ、日本のシニアチームがアジアチャンピオンになるというフィールド上での素晴らしい成功で日本の2011年は始まった。
日本は横浜と豊田市でFIFAクラブワールドカップを完璧に開催し、フィールドの外で成功を収める形で、1年を締めくくった。地元のヒーロー柏レイソルがそのパフォーマンスで世界を魅了し、スペイン王者バルセロナがスタイリッシュにタイトルを獲得したが、2011年に起きた苦難の中での大会運営は、あらゆる面で最高の功績であった。
3月の大震災後、FIFAは日本に対しサッカーのインフラの為に多大なる財政的な支援を提供し、FIFAジョセフS.ブラッター会長は12月に仙台地域を訪問した。団結することも大切だとし、「サッカーは希望」であることを地元の若者たちに伝えた。
日本のサッカーの友愛によって定められた基準は、感動的でかつ類をみないものだった。まさに、2011年はサッカーにおける「日本の年」として長く記憶されることだろう。
