沿革・歴史
※年歴欄の関連記事は「日本サッカーアーカイブ」(本協会の殿堂委員会委員である賀川浩氏制作)にリンクしています。
| 年度 | 月 | 日本サッカーの主な出来事 | 世界のサッカー |
|---|---|---|---|
| 1863 | The Football Association(The FA/英国サッカー協会)設立。 | ||
| 1873 | イングランドサッカー協会(The FA)創設から10年後、英国海軍教官団のA.L.ダグラス少佐と海軍将兵が来日。東京築地の海軍兵学寮(のちの海軍兵学校)で日本人の海軍軍人に訓練の余暇としてサッカーを教えた(これが、日本でサッカーが紹介された最初というのが定説になっている)。 | ||
| 1878 | 体操伝習所(のちの東京高等師範学校体操専修科)が創設され、教科の一つにサッカーが取り入れられる。 | ||
| 1885 | 4月 | 坪井玄道らが著した『戸外遊戯法―名戸外運動法』が刊行。書内第17項で「フートボール(蹴鞠の一種)」に競技のやり方が紹介。これが日本語でサッカーを紹介した最初の文献であると言われている。 | |
| 1888 | 3月 | 日本最古の対抗戦と言われるインターポートマッチ(港対抗戦)が開催される(横浜カントリー・アンド・アスレチック・クラブ(YC&AC)と神戸レガッタ・アンド・アスレチック・クラブ(KR&AC)が対戦)。 | |
| 1896 | 3月 | 東京の高等師範学校(東京高師)にフートボール部が設立される。 | |
| 9月 | 神戸尋常中学(のちの神戸一中、神戸高校)に蹴鞠会が結成。 | ||
| 1898 | セリエA(イタリア)スタート。 | ||
| 1899 | 神戸の御影師範学校にア式蹴球部が設置(ア式=アソシエーション式の略)。 | ||
| 1904 | 2月 | 東京高師がYC&ACと対戦(0-9で完敗)。これが日本で行われた初めての外国チームとの対抗試合と言われている。 | |
| 5月 | 国際サッカー連盟(FIFA)設立。初代会長にロベール・ゲランが就任(~1906)。 | ||
| 1906 | ダニエル・ウールフォールがFIFAの第2代会長に就任(~1918)。 | ||
| 1907 | 11月 | 日本人同士の初の対抗試合と言われる東京高師と青山師範学校との試合が行われる。 | |
| 1908 | 10月 | ロンドンオリンピックでサッカーが正式種目となる。優勝はグレートブリテン(英国)。 | |
1912 |
6月~7月 | ストックホルムオリンピック開催でグレートブリテンが優勝。 | |
1913 |
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1914 |
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1915 |
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1916 |
7月 | 南米サッカー連盟(CONMEBOL)が設立。コパ・アメリカ(南米サッカー選手権)がスタート。 | |
1917 |
5月 | 東京高師が、日本を代表するチームとして初の国際試合となる第3回極東選手権(東京・芝浦)に出場。 | |
| - | 内野台嶺が日本初のクラブチーム「東京蹴球団」を結成。 | ||
1918 |
1-2月 | 全国高校サッカー選手権大会の前身となる日本フートボール大会(大阪・豊中)や東海蹴球大会(愛知・名古屋)、関東蹴球大会(東京)など多くの大会が開催される。 | |
1919 |
3月 | 英国大使館の書記官補を務めていたウイリアム・ヘーグらの尽力により、イングランドサッカー協会(The FA)よりFAシルバーカップが寄贈され、嘉納治五郎大日本体育協会会長が英国大使館で同カップを受け取る。 FAシルバーカップが贈られたことが契機となり、この2年後の1921年に大日本蹴球協会が創設されることに。 | |
1920 |
8月~9月 | アントワープオリンピック開催、ベルギーが優勝。 | |
| イングランドサッカー協会がFIFAから脱退。 | |||
1921 |
9月 | 大日本蹴球協会(現、日本サッカー協会/JFA)創立。初代会長に今村次吉就任。 | ジュール・リメがFIFA第3代会長に就任(~1954)。 |
11月 |
現、天皇杯全日本サッカー選手権大会の第1回大会となるア式蹴球全国優勝競技会が開催され、4チームが出場。初代王者は東京蹴球団で、エリオット英国大使から山田午郎主将にFAシルバーカップが授与される。 | ||
1922 |
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1923 |
5月 | 第6回極東選手権(大阪)に出場(のちに日本代表初の国際Aマッチとして認定)。 | |
| 8月 | 東京高等師範学校付属中学校でサッカーを指導していたチョー・ディン著の指導テキスト『How to Play Association Football』の日本語版が出版される。これが日本サッカーの戦術的基盤づくりに生かされる。 | ||
1924 |
5月~6月 | パリオリンピック開催、ウルグアイが優勝。 | |
1925 |
3月 | 大日本体育協会に加盟。 | |
1926 |
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1927 |
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| 8月 | 第8回極東選手権大会(上海)で鈴木重義主将率いる日本代表が、フィリピンを下して日本代表が国際試合初勝利。 | ||
1928 |
5月~6月 | アムステルダムオリンピック開催、ウルグアイが優勝。 | |
1929 |
5月 | 国際サッカー連盟(FIFA)に加盟(第二次世界大戦の際に除名)。 | |
| リーガエスパニューラ(スペイン)スタート。 | |||
1930 |
5月 | 第9回極東選手権大会(東京)に出場。竹腰重丸主将、手島志郎、篠島秀雄らの活躍により、中国と3-3で引き分けて初めてタイトルを分かち合う。 | |
| 7月 | 第1回FIFAワールドカップ(ウルグアイ)が開催される開催国のウルグアイが優勝。 | ||
| 1931 | 6月 | 大日本蹴球協会旗章制定。3本足の烏は、東京高等師範の内野台嶺(大日本蹴球協会理事)ら協会役員が発案し、彫刻家の日名子実三がデザイン化したもの。 | |
| 10月 | 協会機関誌『蹴球』創刊
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| 1934 | 5月~6月 | 第2回FIFAワールドカップ(イタリア)でイタリアが優勝。 | |
| 1935 | 4月 | 第2代会長に深尾隆太郎が就任 | |
| 1936 | 8月 | 日本代表がベルリンオリンピックに出場。日本代表の竹内悌三主将は入村式で旗手を務めた。3-2でスウェーデンに勝利 <ベルリンの奇跡>。この試合で川本泰三がオリンピックでの日本人初ゴールを記録。チームはベスト8進出。 | ベルリンオリンピック開催、イタリアが優勝。 |
| 1938 | 6月 | 第3回FIFAワールドカップ(フランス)でイタリアが2度目の優勝。 | |
| 1939 | 秋 | 大日本蹴球協会「蹴球行進曲」完成。 | |
| 1942 | 4月 | 大日本蹴球協会から大日本体育会(現、日本体育協会)の蹴球部会となる。 | |
| 1945 | 1月 | 大日本体育会は、政府が進めている銀回収に協力することを決め、同協会および加盟団体で保有している賞杯等を政府に供出。大日本蹴球協会はFAシルバーカップ(The FA寄贈)などの銀杯を供出。 | |
| - | 田辺治太郎(関西)と乗冨丈夫(関東)が大日本蹴球協会会長を代行(1946年まで)。 | ||
| 1946 | 5月 | 「復興第1回全日本サッカー選手権大会」と銘打ち、第26回大会となる全日本選手権(現、天皇杯全日本サッカー選手権大会)を開催(第21~25回は戦争のため中止)。 | |
| 11月 | 第1回国民体育大会開催 | ||
| 英国4協会がFIFAに復帰。 | |||
| 1947 | - | 日本蹴球協会に改称 | |
| 4月 | 高橋龍太郎が第3代会長に就任 | ||
| 4月 | ナイルキニックスタジアム(神宮外苑競技場/現、国立競技場)で行われた東西対抗に天皇、皇太子のご臨席を賜る。天皇杯下賜のきっかけに。 | ||
| 1948 | 7月 | 宮内庁より天皇杯が下賜される。戦後、各競技団体に下賜された中で最初の天皇杯(1949、1950年は東西対抗の優勝チームに授与)。 | |
| 7~8月 | ロンドンオリンピック開催、スウェーデンが優勝。 | ||
| 1950 | 6~7月 | 第4回FIFAワールドカップ(ブラジル)、ウルグアイが優勝。 | |
| 9月 | 国際サッカー連盟(FIFA)に再加盟 。 |
| 1951 | 3月 | 第1回アジア競技大会(ニューデリー)に出場。二宮洋一は選手兼監督として出場。岩谷俊夫、賀川太郎、鴘田正憲らの活躍によって日本代表は3位に。 | 第1回アジア競技大会(ニューデリー)。 |
| 5月 | この年から全日本選手権に天皇杯が授与されることになり、天皇杯全日本サッカー選手権に改称。同大会優勝チーム(慶応BRB)が初の天皇杯を獲得。 | ||
| 11月 | 戦後初の欧州チーム(ヘルシングボリュ/スウェーデン)が来日し、日本代表と対戦。 | ||
| 1952 | 7月~8月 | ヘルシンキオリンピックで、ハンガリーが優勝。 | |
| 1953 | 8月 | 日本学生選抜が、西ドイツ(ドルトムント)で開催された国際大学スポーツ週間(のちのユニバーシアード)に参加(10ヵ国中4位)。戦後の厳しい状況下にもかかわらず、若手有望選手に本場のサッカーを見聞させることを目的に、約2ヵ月にわたる遠征を実施。 | |
| 1954 | ルドルフ・ジルドライヤーがFIFA第4代会長に就任(~1955)。 | ||
| 3月 | FIFAワールドカップ(スイス)の地域予選に出場。日本代表初のワールドカップ予選(日本は韓国に1分1敗で本大会へ進めず)。 | ||
| 5月 | アジアサッカー連盟(AFC)が創設(FIFAの承認は6月)。 | ||
| 6月 | ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)設立。 | ||
| 6月~7月 | 第5回FIFAワールドカップ(スイス)、西ドイツが優勝。 | ||
| 10月 | アジアサッカー連盟(AFC)に加盟。 | ||
| 1955 | アーサー・ドルリーがFIFA第5代会長に就任(~1961)。 | ||
| 4月 | 第4代会長に野津謙が就任。 | 欧州インターシティーズ・フェアーズカップ(現、UEFAヨーロッパリーグ)がスタート。 | |
| 5月 | 欧州チャンピオンズカップ(現、欧州チャンピオンズリーグ)がスタート。 | ||
| 1956 | 11月 |
竹腰重丸監督率いる日本代表がメルボルンオリンピックに出場。 | メルボルンオリンピックで、ソ連が優勝。 |
| 1957 | アフリカサッカー連盟(CAF)設立。 | ||
| 1958 | - | 多和健雄らの尽力によって学習指導要領が改正され、小学校から高校までの正課体育にサッカーが採用されることになる。 | |
| 5月 | 市田左右一(常務理事)が日本初のFIFA理事に就任。 | ||
| 5~6月 | 東京で第3回アジア競技大会開催(日本代表はグループリーグで敗退)。決勝の主審を村形繁明が務める。 | ||
| 6月 | 第6回FIFAワールドカップ(スウェーデン)、ブラジルが優勝。 | ||
| 1959 | 4 | 日本の提案によりアジアユース選手権がスタート。日本ユース代表は3位に。 | |
| 1960 | 5 | 天皇杯全日本サッカー選手権大会で古河電工が実業団初の優勝。 | |
| 8 | 会長・野津謙、常務理事・小野卓爾らの尽力により西ドイツサッカー協会のデットマール・クラマーをコーチとして招聘することを決め、高橋英辰日本代表監督とともに、東京オリンピックに向けた強化に取り組む。日本代表は、50日間にわたる欧州・ソ連遠征を実施し、この遠征でデュイスブルク(西ドイツ)のスポーツシューレでクラマーコーチから指導を受ける。このスポーツシューレでの経験がのちのJリーグの礎となる。 | ||
| 8~9月 | ローマオリンピックで、ユーゴスラビアが優勝。 | ||
| 11月 | 日本代表、FIFAワールドカップ(チリ)予選に出場し、アウェイで韓国と対戦。日本のスポーツチームとして、戦後初の訪韓を果たす。 | ||
| - | 南米クラブ選手権はじまる。欧州カップウィナーズ・カップはじまる。インターコンチネンタル杯はじまる。 | ||
| 1961 | 4月 | クラマーコーチが再来日し、13ヵ月間にわたって日本代表の長期指導にあたる。 | |
| - | スタンリー・ラウスがFIFA第6代会長に就任(1974)。 | ||
| - | 北中米カリブ・サッカー連盟(CONCACAF)設立。 | ||
| 1962 | 5~6月 | 第7回FIFAワールドカップ(チリ)、ブラジルが優勝。 | |
| 1963 | 10月 | 日本代表、西ドイツのアマチュア代表と対戦し、国内で欧州チームに初勝利。 | ブンデスリーガ(当時西ドイツ)、スタート。 |
| 1964 | 10月 | 平木隆三主将率いる日本代表が、東京オリンピックに出場。3-2でアルゼンチンに勝利し、ベスト8入り。
福島玄一と浅見俊雄が審判員として参加し、福島がグループステージで主審を務める。 |
東京オリンピックで、ハンガリーが優勝。 |
| 1965 | 4-5月 | 日本で第7回アジアユース大会開催。 | |
| 6月 | クラマーコーチの提言にもあった、日本初の全国リーグ・日本サッカーリーグ(JSL)が8チーム編成でスタート(~1992年)。 | ||
| 1966 | 6月 | 宮内庁より新しい天皇杯が下賜される。 | |
| 7月 | |||
| 8月 | 全国高等学校総合体育大会にサッカー競技が加わる | 第8回FIFAワールドカップ(イングランド)、イングランドが優勝。 | |
| オセアニアサッカー連盟(OFC)設立。 | |||
| 1967 | - | アジアクラブ選手権(現、AFCチャンピオンズリーグ)スタート。 | |
| 6月 | ブラジルのパルメイラスが来日し、日本代表と対戦。DF鈴木良三らの活躍もあり、日本代表が南米のプロチームに初勝利を収める(2-1)。 | ||
| - | 北米サッカーリーグ(NASL)がスタート(~84)。 | ||
| 1968 | 4月 | 副会長・篠島秀雄の尽力によりサッカー専門番組「イギリス・プロサッカー」(のちに「三菱ダイヤモンド・サッカー」に改名)(東京12チャンネル/現、テレビ東京)の放送が実現 | |
| 10月 | 長沼健監督、岡野俊一郎コーチ率いる日本代表が、メキシコオリンピックに出場し、銅メダルを獲得 。同年にFIFAが新設したFIFAフェアプレー賞を受賞。
八重樫茂生主将を筆頭に、得点王の釜本邦茂、ブラジル戦で同点ゴールを決めた渡辺正、5得点をアシストした杉山隆一ら攻撃陣、宮本輝紀、松本育夫、森孝慈を中心とした中盤、スィーパーの鎌田光夫や小城得達、宮本正勝、片山洋、山口芳忠に、GK横山謙三らによる勇敢な守備と、全員の献身によって成し遂げられた快挙だった。また、この大会で丸山義行審判員がグループステージで主審を務める。 |
メキシコオリンピック開催、ハンガリーが優勝。 | |
| 1969 | 1月 | この年から天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝が元日に行われる。 | |
| 3月 | メキシコオリンピックで銅メダルを獲得した日本代表チームが、ユネスコの1968年度フェアプレー賞を受賞することが決まる(授賞式は5月、パリのユネスコ本部で行われる)。 | ||
| 4月 | 野津謙JFA会長(AFC副会長)がFIFA理事に。日本からの理事は2人目。 | ||
| 7~10月 | 第1回FIFAコーチング・スクール開校。 | ||
| 1970 | - | 日本サッカー界初の法人組織、(社)神戸フットボールクラブ(神戸FC)が発足され、玉井操が初代会長に就任。大谷四郎が神戸FCで初めての年齢別会員登録制度を採用。 | |
| 5~6月 | 第10回FIFAワールドカップ(メキシコ)、ブラジルが優勝。 | ||
| 6月 | 丸山義行審判員が日本人として初めてFIFAワールドカップ(メキシコ)に参加し、グループステージで線審(現、副審)を務める。 | ||
| 7~8月 | JFA初のコーチングスクールを開講。 | ||
| 12月 | ブラジル生まれのネルソン吉村大志郎が日本国籍を取得。サッカーの外国籍選手としては初の日本国籍取得。 |
| 1972 | 4月 | JSL2部がスタート | |
| 8~9月 | ミュンヘンオリンピック開催、ポーランドが優勝。 | ||
| 9月 | 第1回日韓定期戦スタート(1991年の第15回大会をもって終了)。 | ||
| 12月 | 天皇杯全日本サッカー選手権大会がオープン化。 | ||
| 1973 | 1月 | UEFAスーパーカップがスタート。 | |
| 1974 | - | ジョアン・アヴェランジェがFIFA第7代会長に就任(1998)。 | |
| 2月 | 新田純興らが『日本サッカーの歩み(日本蹴球協会創立満50年記念出版)』を編纂。 | ||
| 3-4月 | マラハリム・カップ(インドネシア)で平木隆三監督が指揮する日本代表(Bチーム)が初優勝。 | ||
| 6月 | 大畠襄がJSLチームドクター協議会を設立。 | ||
| 7月 | 東京12チャンネル(現・テレビ東京)でFIFAワールドカップ(西ドイツ)決勝を生中継。日本でのワールドカップ生中継は初。 | ||
| 6~7月 | 第10回FIFAワールドカップ(ドイツ)、西ドイツが優勝。 | ||
| 8月 | 財団法人化。財団法人 日本サッカー協会に名称変更。 | ||
| 1975 | 6月 | 第6回アジアカップ予選に初出場するも予選で敗退し、本大会出場はならず。 | |
| 1976 | 4月 | 第5代会長に平井富三郎が就任。 | |
| 7月 | モントリオールオリンピック、東ドイツが優勝。 | ||
| 10月 | 日本サッカー後援会発足。 | ||
| 1977 | 6~7月 | FIFAワールドユース選手権(チュニジア/現、FIFA U-20ワールドカップ)、ソ連が優勝。 | |
| 8月 | 全日本少年サッカー大会がスタート(地域協会より推薦された32チームが出場)。 | ||
| 8月 | 全国から優秀な選手を集めた育成制度、セントラル・トレーニング・センターをスタート(1980年より、ナショナルトレーニングセンター制度に)。 | ||
| 9月 | |||
| 10月 | 古河電工の奥寺康彦が1FCケルン(ドイツ)入り。日本人プロ第1号。 | ||
| 1978 | 5月 | ジャパンカップ(後のキリンカップサッカー)が始まる。 | |
| 6月 | 第11回FIFAワールドカップ(アルゼンチン)、アルゼンチンが優勝。 | ||
| 1979 | 4月 | 他の競技団体に先駆けて年齢別選手登録制度を導入。 | |
| 8~9月 | FIFAワールドユース・トーナメント(現、FIFAU-20ワールドカップ)を日本で開催。アルゼンチンが優勝、ディエゴ・マラドーナがMVPに輝く。 | FIFAワールドユース選手権(日本)、アルゼンチンが優勝。 | |
| 1980 | 3月 | 全日本女子サッカー選手権大会がスタート。 | |
| 7~8月 | モスクワオリンピックで、チェコスロバキアが優勝。 | ||
| 10月 | 竹腰重丸が死去。初の協会葬を執り行う。 | ||
| 1981 | 2月 | 第1回トヨタヨーロッパ/サウスアメリカカップ(通称:トヨタカップ)開催(~2004年)。 | 第1回トヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカカップ1980(通称トヨタカップ/~2004)が東京で開催され、ナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ)が優勝。 |
| - | 『週刊少年ジャンプ』(集英社)第18号から「キャプテン翼」の連載が始まる。これによって、サッカー選手を目指す少年が増加。 | ||
| 6月 | 日本女子代表チームを初めて編成し、第4回アジア女子選手権(香港)に出場。 | ||
| 10月 | FIFAワールドユース選手権(オーストラリア)、西ドイツが優勝。 | ||
| 11月 | JSLで三菱重工の落合弘が260試合連続試合出場を記録 | ||
| 12月 | 第2回トヨタカップ、フラメンゴ(ブラジル)が優勝。 | ||
| 1982 | 6~7月 | 第12回FIFAワールドカップ(スペイン)、イタリアが優勝。 | |
| 12月 | 第3回トヨタカップ、ペニャロール(ウルグアイ)が優勝。 | ||
| 1983 | 5月 | 韓国プロリーグ「スーパーリーグ」(現、Kリーグ)が開幕。 | |
| 6月 | FIFAワールドユース選手権(メキシコ)、ブラジルが優勝。 | ||
| 12月 | 第4回トヨタカップ、グレミオ(ブラジル)が優勝。 | ||
| 1984 | 8月 | ロサンゼルスオリンピックでフランスが優勝(この大会からプロ選手の参加が認められる)。 | |
| 12月 | 第5回トヨタカップ、インディペンデイエンテ(アルゼンチン)が優勝。 | ||
| 1985 | 7~8月 | FIFA U-16世界選手権(中国/現・FIFA U-17ワールドカップ)、ナイジェリアが優勝。 | |
| 8~9月 | ユニバーシアード(神戸)。この大会でサッカーが正式種目に。 | ||
| 8~9月 | ユニバーシアード神戸大会でサッカーが正式種目に(日本はこの大会で4位)。 | FIFAワールドユース選手権(ソ連)、ブラジルが優勝。 | |
| 12月 | 第6回トヨタカップ、ユベントス(イタリア)が優勝。 | ||
| 1986 | 4月 | プロ選手の登録「スペシャルライセンスプレーヤー制度」を導入。奥寺康彦、木村和司がプロ登録。 | |
| 5~6月 | 高田静夫審判員がFIFAワールドカップ(メキシコ)で主審、線審(現、副審)を務める。 | 第14回FIFAワールドカップ(メキシコ)、アルゼンチンが優勝。 | |
| 12月 | 古河電工が第6回アジア・クラブ選手権で初優勝。 | 第7回トヨタカップ、リバープレート(アルゼンチン)が優勝。 | |
| - | 浅見俊雄がAFC審判委員会副委員長に就任。 | ||
| 1987 | 3月 | 高円宮憲仁親王殿下がJFA名誉総裁にご就任(3月11日)。 | |
| 4月 | 第6代会長に藤田静夫が就任。 | ||
| 7月 | FIFA U-16世界選手権(カナダ)、ソ連が優勝。 | ||
| 10月 | FIFAワールドユース選手権(チリ)、ユーゴスラビアが優勝。 | ||
| 12月 | 第8回トヨタカップ、FCポルト(ポルトガル)が優勝。 | ||
| アジア・アフリカ・クラブ選手権がスタート(~1997)。 | |||
| 1988 | 1月 | 読売クラブが、古河電工に続き第7回AFCアジアクラブ選手権に優勝。 | |
| 3月 | JSL内に「第1次活性化委員会」が設置され、日本サッカーのレベルアップについて議論(10月まで6回開催)。 | ||
| 5~6月 | JSLの若手選手で編成した日本代表(Bチーム)がマラハリム・カップで優勝(監督/山口芳忠)。 | ||
| 9~10月 | ソウルオリンピック開催、ソ連が優勝。 | ||
| 10月 | 「第2次活性化委員会」(1989年3月まで8回開催)。第1次、2次にわたる活性化委員会から「プロリーグ設立」の案が持ち上がる。 | ||
| 12月 | 第9回トヨタカップ、オシオナル・モンデビデオ(ウルグアイ)が優勝。 | ||
| 1989 | 1月 | フットサル日本代表が第1回FIFA5人制室内サッカー世界選手権(オランダ/現、FIFAフットサルワールドカップ)に出場。 | 第1回FIFAフットサル世界選手権(オランダ/現・FIFAフットサルワールドカップ)、ブラジルが優勝。 |
| 2~3月 | FIFAワールドユース選手権(サウジアラビア)、ポルトガル。 | ||
| 6月 | 3月にJSLから「日本サッカーリーグの活性化案」が提出されたことを受け、JFA内に「プロリーグ検討委員会」を設置。 | FIFA U-16世界選手権(スコットランド)、サウジアラビアが優勝。 | |
| 8月 | 日本オリンピック委員会(JOC)に加盟。 | ||
| 9月 | 日本女子サッカーリーグがスタート(1994年にLリーグと改称。現・なでしこリーグ)。 | ||
| 11月 | 2002年FIFAワールドカップの開催国として正式に立候補を表明。 | ||
| 12月 | 高円宮杯全日本ジュニアユース(U-15)サッカー選手権大会(現、高円宮杯全日本ユース(U-15)サッカー選手権大会)がスタート。 | 第10回トヨタカップ、ACミラン(イタリア)が優勝。 | |
| 1990 | 6~7月 | 高田静夫審判員がFIFAワールドカップ(イタリア)に参加し、主審、線審(現副審)を務める。 | 第14回FIFAワールドカップ(イタリア)、西ドイツが優勝。 |
| 8月 | プロリーグ検討委員会を開催(1991年まで6回開催)。 | アジアカップウィナーズカップがスタート。 | |
| 8~9月 | 高円宮杯全日本ユース(U-18)選手権大会がスタート。 | ||
| 10月 | JFA内にワールドカップ招致準備事務局を設置。 | ||
| 12月 | 第11回トヨタカップ、ACミラン(イタリア)が優勝。 |
| 1991 | 2月 | プロリーグ参加10チーム決定。 | |
| 3月 | プロリーグ設立準備室開設。 | ||
| 6月 | 2002年ワールドカップ日本招致委員会設立。 | FIFAワールドユース選手権(ポルトガル)、ポルトガルが優勝。 | |
| 7月 | プロサッカーリーグの正式リーグ名称「Jリーグ」を発表。 | ||
| 8月 | FIFA U-17世界選手権(イタリア)、ガーナが優勝。 | ||
| 11月 | 社団法人日本プロサッカーリーグ設立(11月1日)。初代チェアマンに川淵三郎が就任。 | 第1回FIFA女子ワールドカップ(中国)、アメリカが優勝。 | |
| 11月 | 日本女子代表、第1回FIFA女子世界選手権(中国/現、FIFA女子ワールドカップ)に出場。 | ||
| 12月 | 第12回トヨタカップ、レッドスター・ベオグラード(ユーゴスラビア)が優勝。 | ||
| 1992 | - | プレミアリーグ(イングランド)スタート。 | |
| - | 南アフリカがFIFA復帰。 | ||
| 2月 | 日産自動車が第2回アジア・カップウィナーズカップで初優勝。 | ||
| 3月 | 日本代表初の外国人監督にハンス・オフト(オランダ)が就任。 | ||
| 5月 | 第7代会長に島田秀夫が就任。 | ||
| 5月 | プロチームとプロ選手の指導資格となる公認S級コーチのライセンスを創設。 | ||
| 7月 | 日本フットボールリーグ(1999年~)の前身となるジャパンフットボールリーグ(JFL)が開幕。 | ||
| 8月 | 日本代表、第2回ダイナスティカップ(中国)で優勝。 | ||
| 8月 | 舘喜一郎審判員がバルセロナオリンピックに参加し、主審を務める | ||
| 7~8月 | バルセロナオリンピック開催、スペインが優勝。この大会から男子サッカーにU-23の年齢制限が運用される。 | ||
| 9~11月 | Jリーグ初の公式戦となるJリーグヤマザキナビスコカップを開催。ヴェルディ川崎が優勝。 | FIFAフットサル世界選手権(香港)、ブラジルが優勝。 | |
| 10月 | インターコンチネンタルチャンピオンズカップサウジアラビア(現、FIFAコンフェデレーションズカップ)、アルゼンチンが優勝。 | ||
| 10~11月 | 広島で第10回アジアカップを開催。日本代表アジア初制覇。 | ||
| 12月 | 第13回トヨタカップ、サンパウロFC(ブラジル)が優勝。 | ||
| - | 藤田静夫がFIFA功労賞(金賞)を受賞。 | ||
| 1993 | 3月 | FIFAワールドユース選手権(オーストラリア)、ブラジルが優勝。 | |
| 4月 | 横浜マリノスが第3回アジアカップウィナーズ選手権で2連覇。 | ||
| 5月 | Jリーグ開幕。5月15日、国立競技場で開幕式を行う。Jリーグ開幕戦は、川崎ヴェルディ対横浜マリノスの対戦で、Jリーグ初ゴールは川崎のマイヤー選手。 日本初のプロサッカーリーグは爆発的な人気を博す。「Jリーグ」はこの年の新語・流行語大賞を受賞。また、企業スポーツからの脱却を図り、地域に根差したスポーツクラブをつくろうという理念は、それまで企業スポーツと学校体育で発展してきた日本のスポーツ界に大きな風穴を開けた。 |
||
| 8月 | 日本でFIFA U-17世界選手権1993(現・FIFA U-17ワールドカップ)を開催。U-17日本代表は同大会出場でベスト8入り。 | ||
| 8月~9月 | FIFA U-17世界選手権(日本)、ナイジェリアが優勝。 | ||
| 10月 | 東京で開催したアフロ・アジア選手権で日本代表がコートジボワールを破り、優勝。 | ||
| 10月 | カタール・ドーハで行われたFIFAワールドカップ(アメリカ)アジア地区最終予選で本大会出場を逸す<ドーハの悲劇>。 | ||
| 12月 | 第14回トヨタカップ、サンパウロFC(ブラジル)が優勝。 | ||
| 1994 | 3月 |
ロベルト・ファルカン(ブラジル)が日本代表監督に就任。 | |
| 5月 | 第8代会長に長沼健が就任。 | ||
| 6月~7月 | 第15回FIFAワールドカップ(アメリカ)、ブラジルが優勝。 | ||
| 10月 | 第12回アジア競技大会を広島で開催。 | ||
| 10月 | 加茂周が日本代表監督に就任。 | 12月 | AFC40周年記念表彰式で日本がフェアプレー賞受賞。 | 第15回トヨタカップ、ベレス・サルスフィエルド(アルゼンチン)が優勝。 |
| 1995 | - | アジアスーパーカップスタート(~2002)。 | |
| 1月 | 横浜フリューゲルスが第5回アジア・カップウィナーズカップで初優勝。 | インターコンチネンタルチャンピオンシップ(サウジアラビア)、デンマークが優勝。 | |
| 1月 | 日本代表がインターコンチネンタル選手権(サウジアラビア/現・FIFAコンフェデレーションズカップ)に初出場。 | ||
| 2月 | 日本代表、第3回ダイナスティカップ(香港)連覇。 | ||
| 2月 | FIFAに対し、2002FIFAワールドカップ開催の正式立候補の確認書を送付。 | ||
| 4月 | 1977年設立の日本ミニサッカー連盟を改め、「日本フットサル連盟」が発足。 | FIFAFIFAワールドユース選手権(カタール)、アルゼンチンが優勝。 | |
| 4月 | FIFAワールドユース選手権(カタール/現・FIFA U-20ワールドカップ)でU-20日本代表がFIFAフェアプレー賞を受賞。 | ||
| 6月 | 第2回FIFA女子サッカー世界選手権(スウェーデン/現・FIFA女子ワールドカップ)で日本女子代表がベスト8に入り、1996年アトランタオリンピック出場権を獲得。 吉澤久惠審判員がこの大会の3位決定戦で線審(現副審)を務める 。 | FIFA女子ワールドカップ(スウェーデン)、ノルウェーが優勝。 | |
| 6月 | 全ての国内大会に「フェアプレー賞」を設けることを決定。 | ||
| 8月 | 阪神・淡路大震災チャリティーFIFAオールスターマッチ開催。 | FIFA U-17世界選手権(エクアドル)、ガーナが優勝。 | |
| 8月 | 横浜フリューゲルスが第1回アジアスーパーカップの初代チャンピオンに。 | ||
| 9月 | ユニバーシアード福岡大会にてユニバーシアード日本代表が初優勝。 | ||
| 12月 | ベルマーレ平塚が第6回アジアカップウィナーズ選手権初優勝。 | ボスマン判決。これによりEU加盟国間の選手の移籍が自由化される。 | |
| 12月 | 第16回トヨタカップ、アヤックス(オランド)が優勝。 |
| 1996 | - | メジャーリーグサッカー(MSL)が開幕。 | |
| 2月 | 第1回全日本フットサル選手権(現・PUMA CUP全日本フットサル選手権大会)開催、全国9地域代表が出場。 | ||
| 3月 | 井原正巳選手が1995年のAFC年間最優秀プレーヤーに選ばれる。 | ||
| - | この年の天皇杯(第76回大会)より、全国9地域代表制から47都道府県代表制に変更。クラブユースや高校のチームにも門戸を広げる。 | ||
| 4月 | Jリーグと共同で「公認S級コーチ養成コース」の充実を目的に筑波大学大学院に「寄付講座」を開設(~2000年度)。 | ||
| 5月 | 2002年FIFAワールドカップが日本と韓国の共催になることが決定。アジア初、そして、大会史上初の共同開催。 | ||
| 7月 | U-23日本代表がアトランタオリンピックで優勝候補のブラジルを破る<マイアミの奇跡>が、8強入りならず。日本女子代表もグループリーグ敗退。 | ||
| 7月 | 2002FIFAワールドカップ開催準備委員会発足。 | ||
| 7~8月 | アトランタオリンピック開催、男子はナイジェリア、女子はアメリカが優勝(この大会から男子サッカーに3人までのオーバーエイジ枠を採用。 | ||
| 12月 | 2002年FIFAワールドカップ国内開催地10自治体決定。 | 第17回トヨタカップ、ユベントス(イタリア)が優勝。 | |
| 1997 | 6月 | U-20日本代表、第9回FIFAワールドユース選手権(マレーシア/現・FIFA U-20ワールドカップ)で2大会連続ベスト8入り。 | |
| 6月 | FIFAワールドカップ(フランス)アジア地区1次予選のオマーン戦で井原正巳が日本人で初の国際Aマッチ100試合を記録(のちに川口能活、遠藤保仁も100試合達成)。 | ||
| 7月 | 日本初のサッカーナショナルトレーニングセンター、Jヴィレッジ(福島)がオープン。 | ||
| 6~7月 | FIFAワールドユース選手権(マレーシア)、アルゼンチンが優勝。 | ||
| 9月 | FIFA U-17世界選手権(エジプト)、ブラジルが優勝。 | ||
| 10月 | 岡田武史が日本代表監督に就任。 | ||
| 11月 | FIFAワールドカップ(フランス)アジア地区第3代表決定戦で、日本代表がイランをゴールデンゴールで下し、初出場を決める<ジョホールバルの歓喜>。 |
||
| 12月 | 2002年FIFAワールドカップサッカー大会日本組織員会(JAWOC)設立。 | FIFAコンフェデレーションズカップ(サウジアラビア)、ブラジルが優勝。 | |
| 12月 | 第18回トヨタカップ、ボルジア・ドルトムントが優勝。 | ||
| 1998 | - | ジョゼフ・ブラッターがFIFA第8代会長に就任。 | |
| - | 極東クラブ選手権。 | ||
| 3月 | 第4回AFCダイナスティカップを日本で開催。日本代表は3連覇。 | ||
| 3月 | ジュニアユース審判資格制度、ユース審判資格制度を新設。 | ||
| 4月 | 各種指導者養成講習会の講師を養成するJFAインストラクター制度を導入。 | ||
| 5月 | 中田英寿が1997年のAFC年間最優秀プレーヤーに選ばれる。 | ||
| 6~7月 | 日本代表、FIFAワールドカップ(フランス)に出場 (3戦全敗でグループリーグ敗退)。 同大会で岡田正義審判員が主審を務める。 |
第17回FIFAワールドカップ(フランス)、フランスが優勝。 | |
| 7月 | 第9代会長に岡野俊一郎が就任。 | ||
| 9月 | フィリップ・トルシエ(フランス)日本代表監督に就任。 | ||
| 11月 | ボールカンファレンス(福島)を開催。以降、2年ごとに開催。 | ||
| 12月 | 第19回トヨタカップ、レアル・マドリード(スペイン)が優勝。 | ||
| 1999 | 3月 | Jリーグ、1・2部制(J1・J2)導入。 | |
| 4月 | 審判員登録制度スタート。 | FIFAワールドチャンピオンシップ(ナイジェリア)でスペインが優勝。 | |
| 4月 | U-20日本代表が、第10回FIFAワールドユース選手権(ナイジェリア)で準優勝。 | ||
| 4月 | ジュビロ磐田がアジアクラブ選手権で初優勝。 | ||
| 4月 | 第1回日本フットボールリーグ(JFL)開催。 | ||
| 5月 | 中田英寿が1997年に続き、1998年のAFC年間最優秀プレーヤーに選ばれる。 | ||
| 6月 | 日本代表、コパ・アメリカ’99に招待チームとして出場。日本はペルー、パラグアイ、ボリビアと対戦し、2敗1分でグループステージ敗退。 | ||
| 6月 | 日本女子代表が第3回FIFA女子ワールドカップ(アメリカ)出場。同大会で吉澤久惠審判員が3位決定戦などで副審を務める。 | ||
| 6~7月 | FIFA女子ワールドカップ(アメリカが優勝。 | ||
| 7~8月 | FIFAコンフェデレーションズカップ(メキシコ)、メキシコが優勝。 | ||
| 11月 | ジュビロ磐田がアジアスーパーカップで優勝(第2回世界クラブ選手権の出場権を得るが、同大会は中止) 。 | FIFA U-17世界選手権(ニュージーランド)、ブラジルが優勝。 | |
| 12月 | 2002 FIFAワールドカップ日本/韓国予選抽選会を東京で開催。 | 第20回トヨタカップ、マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)が優勝。 | |
| 2000 | 1月 | FIFAクラブ世界選手権(ブラジル)、コリンチャンス(ブラジル)が優勝。 | |
| 4月 | シニアの登録制度開始。 | ||
| 4月 | 清水エスパルス、アジアカップウィナーズ選手権で優勝。 | ||
| 8月 | シドニーオリンピック開催、男子はカメルーンが、女子はノルウェーが優勝。 | ||
| 9月 | U-23日本代表、シドニーオリンピック出場。ベスト8入り。吉澤久惠審判員が同大会で、女子の決勝の副審を務める。 | ||
| 10月 | 日本代表、第12回AFCアジアカップ(レバノン)で2度目の優勝。 | ||
| 11~12月 | FIFAフットサル世界選手権(グアテマラ/現・FIFAフットサルワールドカップ)に鈴木亮哉が審判員として参加し、主審などを務める。 | FIFAフットサル世界選手権(グァテマラ)、スペインが優勝。 | |
| 12月 | 第21回トヨタカップ、ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)が優勝。 | ||
| 2001 | 3月 | toto(スポーツ振興くじ)の全国販売がスタート。 | |
| 4月 | 静岡県清水市(現・静岡市清水区)にサッカーナショナルトレーニングセンター「J-STEP」がオープン。 | ||
| 5~6月 | FIFAコンフェデレーションズカップ日本/韓国2001開催。日本代表が準優勝(優勝はフランス)。この大会で日本はFIFAフェアプレー賞を受賞。 | FIFAコンフェデレーションズカップ(日本・韓国)、フランスが優勝。 | |
| 6~7月 | FIFAワールドユース選手権(アルゼンチン)、アルゼンチンが優勝。 | ||
| 7月 | FIFAワールドユース選手権(アルゼンチン)で上川徹審判員が3位決定戦の主審を務める。 | ||
| 8月 | 日本代表、AFC/OFCチャレンジカップ(静岡)でオーストラリアを破り、優勝。 | ||
| 8月 | ユニバーシアード日本代表、第21回ユニバーシアード競技大会(北京)で優勝(2度目)。 | ||
| 9月 | FIFA U-17世界選手権(トリニダード・トバゴ)、フランスが優勝。 | ||
| 12月 | 第22回トヨタカップ、バイエルン・ミュンヘン(ドイツ)が優勝。 |
| 2002 | 2月 | レフェリーとプロフェッショナル契約をするスペシャルレフェリー(SR)制度を導入。 | |
| 4月 | 「アジアユース育成プログラム」をスタート。 | ||
| 5月 | 天皇皇后両陛下にキリンチャレンジカップの日本代表対スウェーデン代表戦のご臨席を賜る。 | ||
| 5月 | 東アジアサッカー連盟が設立され、本部を東京に置く。初代会長に岡野俊一郎が就任。 | ||
| 5~6月 | アジア初のFIFAワールドカップを韓国と共同開催。日本代表は出場2回目にしてベスト16入りを果たす。また、同大会で上川徹審判員が主審を務める。大会史上初となった日韓共催のワールドカップは両国の関係を深め、また、開催地やキャンプ地などで温かい交流が育まれるなど、"笑顔のワールドカップ"と称され、今なお語り継がれている。 |
第17回FIFAワールドカップ(日本・韓国)、ブラジルが優勝。 |
|
| 7月 | 第10代会長に川淵三郎就任。 | ||
| 7月 | ジーコ(ブラジル)が日本代表監督に就任。 | ||
| 8月 | 小倉純二副会長、FIFA理事に就任(日本人のFIFA理事としては3人目)。 | ||
| 8月 | 第1回FIFA U-19女子世界選手権(カナダ)でU-19女子日本代表がFIFAフェアプレー賞を受賞。また、大岩真由美審判員が開幕戦、3位決定戦などで主審を務める。日本の女性審判員がFIFA主催の国際大会で主審を務めるのは初。 | FIFA U-19女子世界選手権(現・FIFA U-20女子ワールドカップ)、アメリカが優勝。 | |
| 10月 | 日本サッカーの、より一層の環境充実と競技普及を目的とした重要施策「キャプテンズ・ミッション(現・プレジデンツ・ミッション」を策定。 | ||
| 11月 | JFA名誉総裁高円宮憲仁親王殿下薨去 (11月21日)。 | ||
| 12月 | 2002FIFAワールドカップを成功させたとして、日本と韓国にFIFAフェアプレー賞が授与される。 | 第23回トヨタカップ、レアウ・マドリード(スペイン)が優勝。 | |
| 2003 | - | A3アジアチャンピオンズカップスタート(~2007) | |
| 3月 | 高円宮妃久子殿下がJFAの名誉総裁に就任される(3月21日)。 | アジアクラブ選手権とアジアカップウィナーズカップを統合し、AFCチャンピオンズリーグを創設。 | |
| 3月 | 地域における新たなリーグ戦となるJFAプリンスリーグU-18を創設。 | ||
| 4月 | フットサル個人登録制度開始。 | ||
| 4月 | 世界基準を目指す選手の育成を目的にJFAエリートプログラムをスタート。 | ||
| 5月 | 小野伸二が2002年のAFC年間最優秀プレーヤーに選ばれる。 | ||
| 6月 | JFAキッズプログラムスタート。 | FIFAコンフェデレーションズカップ(フランス)、フランスが優勝。 | |
| 6月 | FIFAコンフェデレーションズカップ(フランス)で日本代表がFIFAフェアプレー賞を受賞。 | ||
| 8月 | ユニバーシアード日本代表が第22回ユニバーシアード競技大会(テグ)で連覇、3度目の優勝。 | FIFA U-17世界選手権(フィンランド)、ブラジルが優勝。 | |
| 9月 | 日本サッカーの新拠点、JFAハウスが東京都文京区本郷に誕生。JFA、Jリーグ、各種連盟などサッカー関連団体がここに移転。 | ||
| 9~10月 | 日本女子代表、第4回FIFA女子ワールドカップ(アメリカ)に出場。また、吉澤久惠審判員が同大会で副審を務める。 | FIFA女子ワールドカップ(USA)、ドイツが優勝。 | |
| 11~12月 | FIFAワールドユース選手権(UAE)、ブラジルが優勝。 | ||
| 12月 | 東アジアサッカー選手権2003決勝大会が日本で開催される。優勝は韓国。日本は準優勝。 | 第24回トヨタカップ、ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)が優勝。 | |
| 12月 | JFAハウスに日本サッカーミュージアムがオープン。 | ||
| 2004 | 1月 | 「JFAレフェリーカレッジ」開講。 | |
| 4月 | 2002FIFAワールドカップ記念事業として、サッカーを中心としたスポーツ環境整備モデル事業、スポーツ組織マネジメント能力開発事業(JFAスポーツマネージャーズカレッジ)、ワールドカップ開催地スタジアム利活用事業、キャンプ地等支援事業、サッカー交流事業などをスタート。 | ||
| 4月 | 「JFA公認指導者登録制度」を導入。 | ||
| 5月 | 長沼健最高顧問がFIFA100周年記念功労賞を、また、日本と韓国のサポーターがファン部門でFIFA100周年記念功労賞を受賞。 | ||
| 6月 | JFAに裁定委員会を設置。 | ||
| 7月 | 日本女子代表の愛称を「なでしこジャパン」に決定(公募)。 | ||
| 8月 | 日本代表、AFCアジアカップ(中国)で2大会連続優勝。 | ||
| 8月 |
アテネオリンピックでなでしこジャパンがFIFAフェアプレー賞を受賞。 |
アテネオリンピック開催、男子はアルゼンチンが、女子はアメリカが優勝。 | |
| 11月 | FIFA U-19女子世界選手権(タイ)、ドイツが優勝。 | ||
| 11~12月 | 五十川和也がFIFAフットサルワールドカップ(チャイニーズタイペイ)に審判員として参加し、主審などを務める。 | FIFAフットサル世界選手権(チャイニーズタイペイ)、スペインが優勝。 | |
| 12月 | JFAハウスに面した金花通り(通称)が“サッカー通り”に名称変更。 | 第25回トヨタカップ、FCポルト(ポルトガル)が優勝。 | |
| 12月 | 新潟県中越地震復興支援チャリティーマッチ「がんばれ新潟!」を開催。ジーコジャパンドリームスとアルビレックス新潟が対戦。 | ||
| 12月 | 澤穂希が2004年のAFC年間最優秀女子プレーヤーに選ばれる。 | ||
| 2005 | 1月 | 「JFA2005年宣言」。「DREAM~夢があるから強くなる」をスローガンにJFAの理念、ビジョン、達成目標を発表。 |
|
| 3月 | Jリーグが2ステージ制を廃止し、1シーズン制を導入。 | ||
| 5月 | ビーチサッカー日本代表、第1回大会となるFIFAビーチサッカーワールドカップ(リオデジャネイロ)で4位。この大会でビーチサッカー日本代表はFIFAフェアプレー賞を受賞。 | 第1回FIFAビーチサッカーワールドカップ(リオ・デ・ジャネイロ/ブラジル)、フランスが優勝。 | |
| 5月 | 日本サッカー殿堂を創設。 | ||
| 6月 | 地球温暖化防止国民運動「チーム・マイナス6%」(現・チャレンジ25キャンペーン)に参加。 | FIFAコンフェデレーションズカップ(ドイツ)、ブラジルが優勝。 | |
| 6~7月 | FIFAワールドユース選手権(オランダ)、アルゼンチンが優勝。 | ||
| 7月 | 「ユネスコ世界寺子屋運動くるりんぱプロジェクト」を推進する電通グループと(社)ユネスコ協会連盟と共同で「アジアの子どもたちにサッカーボールを届けるプロジェクト」をスタート。 | ||
| 8月 | ユニバーシアード日本代表、第23回ユニバーシアード競技大会(イズミル)で3連覇(4度目の優勝)。 | ||
| 9月 | フランスサッカー連盟と総合的なパートナーシップ、および、JFAアカデミー福島と同連盟の育成機関であるINF(男子部門)、CNNE(女子部門)とのパートナーシップを目的とした協定を締結。 | ||
| 9~10月 | FIFA U-17世界選手権(ペルー)、メキシコが優勝。 | ||
| 11月 | 川淵三郎キャプテンが第1回ダイヤモンド・オブ・アジア賞(AFC)を受賞。 | ||
| 11月 | 原菜摘子が2005年のAFC年間最優秀女子プレーヤーに選ばれる。 | ||
| 12月 | 初のFIFAワールドクラブチャンピオンシップ トヨタカップ ジャパン2005(現・TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップ)を日本で開催。2008年大会までホスト国を務める。 | FIFAクラブワールドチャンピオンシップ (現・FIFAクラブワールドカップ)、サンパウロFC(ブラジル)が優勝。 |
| 2006 | 1月 | 日本代表の愛称を「SAMURAI BLUE」に決定。 | |
| 3月 | アジア貢献活動の一環として、AFC加盟協会の指導者を対象とした「JFAインターナショナルコーチングコース」をスタート。 | ||
| 3月 | 女子の国際親善試合、対スコットランド戦で澤穂希が女子では初の国際Aマッチ100試合を達成(のちに酒井與恵、磯﨑浩美も100試合を達成)。 | ||
| 3月 | キリンチャレンジカップの対エクアドル戦で日本代表、国際Aマッチ500試合を達成。 | ||
| 4月 | エリート育成機関「JFAアカデミー福島」を開校。 | ||
| 5月 | AFCはアジア各国におけるプロリーグの発展を目指し、AFCプロリーグ特別委員会を設置(委員長:川淵三郎JFA会長)。AFCチャンピオンズリーグの改革を進めながらアジア各国のプロリーグの充実や刷新を図る。 同委員会の設置に伴い、JFA内にAFCプロリーグプロジェクトを設置。 |
||
| 5月 | フットサル日本代表、AFCフットサル選手権(ウズベキスタン)で初優勝。 | ||
| 6月 | 川淵三郎キャプテンがFIFA功労賞を受賞。 | ||
| 6~7月 | SAMURAI BLUE(日本代表)が、FIFAワールドカップ(ドイツ)に出場。同大会に上川徹、廣嶋禎数両審判員が参加し、それぞれ3位決定戦などで主審、副審を務める。 |
第18回FIFAワールドカップ(ドイツ)、イタリアが優勝。 | |
| 7月 | イビチャ・オシム(ボスニア・ヘルツェゴビナ)が日本代表監督に就任。 | ||
| 8~9月 | FIFA U-20女子世界選手権(ロシア)、朝鮮民主主義人民共和国が優勝。 | ||
| 9月 | U-16日本代表、AFC U-17選手権シンガポール2006で2度目の優勝。 | ||
| 10月 | この年の国民体育大会から少年男子の対象年齢を「18歳以下」から「16歳以下」に引き下げて行われる。 | ||
| 10月 | 沖縄で第1回全国ビーチサッカー大会を開催。 | ||
| 11月 | FIFAビーチサッカーワールドカップ(リオ・デ・ジャネイロ/ブラジル)、ブラジルが優勝。 | ||
| 12月 | FIFAクラブワールドカップ(日本)、FCバルセロナ(スペイン)が優勝。 | ||
| 2007 | 4月 | JFAこころのプロジェクトをスタート。サッカー選手をはじめ、各競技のアスリートらを“夢先生(ユメセン)”に、全国の小学校(高学年)で「夢の教室」を開始。スポーツ選手としての実体験を元に、夢を持つことの素晴らしさ、失敗や挫折に負けないことの重要性を説く。 | |
| 4月 | 環境プロジェクトを設置し、サッカー界として環境保全に取り組むことに。 | ||
| 4月 | JFAグリーンプロジェクト発足。スポーツ施設や学校等のグラウンドの芝生化を推進。 | ||
| 4月 | 審判トレーニングセンター制度をスタート。 | ||
| 6月 | 日本女子サッカーの発展を目的に、女子サッカーの普及、FIFA女子ワールドカップでの優勝、個の育成を3本柱とした「なでしこvision」を発表。 | ||
| 6~7月 | FIFA U-20ワールドカップ(カナダ)でU-20日本代表がFIFAフェアプレー賞を受賞。 | FIFA U-20ワールドカップ(カナダ)、アルゼンチンが優勝。 | |
| 8月 | 西村雄一主審、相樂亨副審がFIFA U-17ワールドカップ(韓国)決勝で、それぞれ主審、副審を務める。 | ||
| 8~9月 | FIFA U-17ワールドカップ(韓国)、ナイジェリアが優勝。 | ||
| 9月 | なでしこジャパン、FIFA 女子ワールドカップ(中国)に出場。 この大会に大岩真由美主審、吉澤久惠副審が同大会に参加し、大岩が主審を、吉澤が副審を務める(大岩は、決勝で第4の審判員を務める)。 |
FIFA女子ワールドカップ(中国)、ドイツが優勝。 | |
| 9月 | 第1回Fリーグ(日本フットサルリーグ)開幕。 | ||
| 10月 | SAMURAI BLUE、AFCアジア/アフリカチャレンジカップ(大阪)でエジプトに勝利し、優勝。 | ||
| 10~11月 | フットサル日本女子代表チームを初結成。第2回アジアインドアゲームズ(マカオ)初出場にして初優勝を決める。 | ||
| 11月 | 浦和レッドダイヤモンズがAFCチャンピオンズリーグで初優勝。 | FIFAビーチサッカーワールドカップ(リオ・デ・ジャネイロ/ブラジル)、ブラジルが優勝。 | |
| 11月 | 本田美登里が女性として初の公認S級コーチ資格を取得(のちに半田悦子、髙倉麻子もS級コーチ資格を取得)。 | ||
| 12月 | 岡田武史が日本代表監督に就任。 | ||
| 12月 | TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップ ジャパン2007で浦和レッドダイヤモンズが3位に。 | FIFAクラブワールドカップ(日本)、ACミラン(イタリア)が優勝。 | |
| 12月 | 聖マリアンナ医科大学がFIFAから「FIFAメディカルセンター川崎」として認定される。アジアでは初。 |
| 2008 | 2月 | なでしこジャパンが東アジア女子サッカー選手権(中国)を制し、公式大会初優勝を飾る。 | |
| 3月 | 47都道府県サッカー協会が全て法人化される。 | ||
| 7月 | 第11代会長に犬飼基昭が就任。 | ||
| 7月 | FIFA ビーチサッカーワールドカップ(マルセイユ)に審判員として小野寺祐審判員が参加し、主審を務める。 | FIFA ビーチサッカーワールドカップ(マルセイユ)、ブラジルが優勝。 | |
| 8月 | なでしこジャパン、北京オリンピックで4位に。 | 北京オリンピック開催、男子はアルゼンチンが、女子はアメリカが優勝。 | |
| 9~10月 | FIFAフットサルワールドカップ (ブラジル)、ブラジルが優勝。 | ||
| 10月 | フットサル日本代表、FIFAフットサルワールドカップ (ブラジル)に出場。 五十川和也が審判員として参加し、主審などを務める。 | ||
| 10~11月 | FIFA U-17女子ワールドカップ(ニュージーランド)、朝鮮民主主義人民共和国が優勝。 | ||
| 10~11月 | FIFAクラブワールドカップ(日本)、マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)が優勝。 | ||
| 11月 | FIFA U-17女子ワールドカップ(ニュージーランド)で岩渕真奈が大会最優秀プレーヤーに選ばれる。 | ||
| 11月 | ガンバ大阪がAFCチャンピオンズリーグで初優勝。 | ||
| 11月 | 長沼健元会長(故人)がダイヤモンド・オブ・アジア(AFC)を受賞。 | ||
| 11月 | 澤穂希選手が2008年のAFC年間最優秀女子プレーヤーに選ばれる。 | ||
| 12月 | TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップ ジャパン2008でガンバ大阪が3位に。 | FIFAクラブワールドカップ、マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)が優勝。 | |
| 2009 | 3月 | AFCチャンピオンズリーグ刷新、新たなフォーマットで開幕。 | |
| 3月 | アメリカで女子プロフェッショナルサッカーリーグが開幕。 | ||
| 4月 | JFAアカデミー熊本宇城校を開校。 | ||
| 6月 | FIFAコンフェデレーションズカップ(南アフリカ)、ブラジルが優勝。 | ||
| 7月 | 国連が提唱する「国連グローバル・コンパクト」に、国内93番目の企業・団体として、またスポーツ統括団体では世界初の登録。 | ||
| 8月 | Jヴィレッジ(福島)内にFIFAゴールプログラムの助成を受けた、初の医療施設「JFAメディカルセンター」をオープン。 | ||
| 8月 | U-19日本女子代表、AFC U-19女子選手権(中国)で優勝。 | ||
| 9月 | 一般財団法人2018/2022年FIFAワールドカップ日本招致委員会を設立。 | ||
| 9月 | 「JFA DREAM ASIA PROJECT」を立ち上げ、アジアサッカーの発展を推進。 | ||
| 9~10月 | FIFA U-20ワールドカップ(エジプト)、ガーナが優勝。 | ||
| 10~11月 | フットサル日本女子代表、アジアインドアゲームス(ベトナム)で2連覇。 | FIFA U-17ワールドカップ(ナイジェリア)、スイスが優勝。 | |
| 11月 | ビーチサッカー日本代表、FIFA ビーチサッカーワールドカップ(ドバイ)に出場(ベスト8)。この大会でビーチサッカー日本代表はFIFAフェアプレー賞を受賞。また、同大会に小野寺祐審判員が参加し、主審などを務める。 | FIFAビーチサッカーワールドカップ(ドバイ/UAE)、ブラジルが優勝。 | |
| 11月 | 遠藤保仁選手が2009年のAFC年間最優秀プレーヤーに選ばれる。 | ||
| 12月 | FIFAクラブワールドカップ(UAE)、FCバルセロナ(スペイン)が優勝。 | ||
| 2010 | 1月 | 日本女子サッカーの強化策の一環として、なでしこジャパン海外強化指定選手制度を導入。 | |
| 1月 | スペインサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。 | ||
| 2月 | なでしこジャパン、東アジア女子サッカー選手権(東京)で連覇。 | ||
| 3月 | J1リーグ戦を対象に、違法なスポーツ賭博による「試合の不正操作」の可能性を検知するシステムFIFA Early Warning System (FIFA 早期警告システム)を導入。 | ||
| 4月 | 大阪府堺市立サッカーナショナルトレーニングセンター(J-GREEN堺)がオープン。 | ||
| 6月 | 小倉純二副会長(当時)がFIFA功労賞を受賞。 | ||
| 6~7月 | SAMURAI BLUE、2010FIFAワールドカップ(南アフリカ)に出場し、ベスト16に進出。 同大会で西村雄一と相樂亨両審判員がそれぞれ主審と副審を務める。また、決勝で西村が第4の審判員を、相樂がリザーブアシスタントレフェリーを務める。 | 第19回FIFAワールドカップ(南アフリカ)、スペインが優勝。 | |
| 7月 | 第12代会長に小倉純二が就任。 | ||
| 7~8月 | FIFA U-20女子ワールドカップ(ドイツ)、ドイツが優勝。 | ||
| 8月 | 日本代表監督にアルベルト・ザッケローニ(イタリア)が就任。 | ||
| 9月 | U-17日本女子代表、FIFA U-17女子ワールドカップ(トリニダード・トバゴ)で準優勝。 | FIFA U-17女子ワールドカップ(トリニダード・トバゴ)、韓国が優勝。 | |
| 11月 | 第16回アジア競技大会(広州)でU-21日本代表、なでしこジャパンがともに初優勝。 | ||
| 11月 | ビーチサッカー日本代表、国内初の国際親善試合を開催(沖縄)。 | ||
| 12月 | TOYOTA プレゼンツFIFAクラブワールドカップ2009(UAE)に審判員として西村雄一主審、相樂亨副審、名木利幸副審が参加し、決勝でそれぞれ主審、副審を務める。 | FIFAクラブワールドカップ(UAE)、インテル(イタリア)が優勝。 |
| 2011 | 1月 | SAMURAI BLUE、AFCアジアカップ(カタール)で大会最多の4度目の優勝。 | |
| 3月 | 「東北地方太平洋沖地震復興支援チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」(大阪・長居)を開催。日本代表がJリーグ選抜「JリーグTEAM AS ONE」と対戦。 | ||
| 4月 | 高円宮杯全日本ユース(U-18)選手権大会が全国リーグ方式に再編され、「高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグ」としてスタート。 | ||
| 4月 | 日本体育協会(日体協)、日本オリンピック委員会、日本トップリーグ連携機構に呼びかけ、日体協主導で「スポーツこころのプロジェクト」を実施することを決定。JFA内に同プロジェクト運営本部を設置。 | ||
| 4月 | シンガポールサッカー協会とパートナーシップ協定を締結。 | ||
| 6月 | ドイツサッカー連盟とパートナーシップ協定を締結。 | ||
| 6~7月 | FIFA U-17ワールドカップ(メキシコ)でU-17日本代表がFIFAフェアプレー賞を受賞。 | FIFA U-17ワールドカップ(メキシコ)、メキシコが優勝。 | |
| 6~7月 | FIFA女子ワールドカップ(ドイツ)でなでしこジャパンが初の決勝戦に進出し、アメリカと対戦。延長戦にもつれ込む大接戦を演じ、PK戦を制して世界女王となる。日本チームはFIFAフェアプレー賞を受賞、澤穂希がMVPと得点王に輝く。また、この大会で、深野悦子、高橋早織両審判員が参加し、それぞれ主審、副審を務める。 |
FIFA女子ワールドカップ(ドイツ)、日本が優勝。 | |
| 7月 | AFCフットサルクラブ選手権で名古屋オーシャンズが優勝。 | ||
| 7~8月 | FIFA U-20ワールドカップ(コロンビア)、ブラジルが優勝。 | ||
| 8月 | なでしこジャパンが団体として初めて国民栄誉賞を受賞。 | ||
| 8月 | 全日本少年サッカー大会が8人制サッカーに変更される。 | ||
| 8月 | ユニバーシアード日本代表が、第26回ユニバーシアード競技大会(深圳)で 5度目の優勝を果たす。 | ||
| 8月 | FAシルバーカップが復元され、イングランドサッカー協会(The FA)から贈呈される。 | ||
| 8月 | 「東日本大震災チャリティーマッチ がんばろうニッポン!」を開催(東京・国立競技場)。なでしこジャパンがなでしこリーグ選抜と対戦。 | ||
| 11月 | なでしこジャパンが紫綬褒章を受章。 | FIFAビーチサッカーワールドカップ(ラベンナ/イタリア)でロシアが優勝。 | |
| 11月 | AFCアニュアルアワード2011で、宮間あやが2011年のAFC年間最優秀女子プレーヤーに、佐々木則夫監督が同最優秀監督に選出。その他、17部門のうち、主要9部門を日本が受賞。 | ||
| 11月 | 小倉純二会長が南米サッカー連盟より特別勲章を受章。 | ||
| 12月 | TOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップが日本で開催され、柏レイソルが第4位に。 | FIFAクラブワールドカップ(日本)、FCバルセロナ(スペイン)が優勝。 | |
| 2012 | 1月 | FIFAバロンドール2011で、澤穂希選手がFIFA女子年間最優秀選手賞を、佐々木則夫監督がFIFA女子年間最優秀監督賞を、 日本サッカー協会がFIFA年間フェアプレー賞を受賞。 |
長沼健監督、岡野俊一郎コーチ率いる日本代表が、メキシコオリンピックに出場し、銅メダルを獲得 。同年にFIFAが新設したFIFAフェアプレー賞を受賞。
八重樫茂生主将を筆頭に、得点王の釜本邦茂、ブラジル戦で同点ゴールを決めた渡辺正、5得点をアシストした杉山隆一ら攻撃陣、宮本輝紀、松本育夫、森孝慈を中心とした中盤、スィーパーの鎌田光夫や小城得達、宮本正勝、片山洋、山口芳忠に、GK横山謙三らによる勇敢な守備と、全員の献身によって成し遂げられた快挙だった。また、この大会で丸山義行審判員がグループステージで主審を務める。
Jリーグ開幕。
FIFAワールドカップ(フランス)アジア地区第3代表決定戦で、日本代表がイランをゴールデンゴールで下し、初出場を決める<ジョホールバルの歓喜>。
アジア初のFIFAワールドカップを韓国と共同開催。日本代表は出場2回目にしてベスト16入りを果たす。また、同大会で上川徹審判員が主審を務める。
第17回FIFAワールドカップ(日本・韓国)、ブラジルが優勝。
「JFA2005年宣言」。
SAMURAI BLUE(日本代表)が、FIFAワールドカップ(ドイツ)に出場。
FIFA女子ワールドカップ(ドイツ)でなでしこジャパンが初の決勝戦に進出し、アメリカと対戦。延長戦にもつれ込む大接戦を演じ、PK戦を制して世界女王となる。日本チームはFIFAフェアプレー賞を受賞、澤穂希がMVPと得点王に輝く。また、この大会で、深野悦子、高橋早織両審判員が参加し、それぞれ主審、副審を務める。