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故・長沼氏との思い出を胸に、日本サッカーの父・クラマー氏が日本サッカーに熱いエール(08.07.24)

 日本サッカー協会は報道関係者を対象に7月19日、かつて東京オリンピック(1964年)の日本代表のコーチを務めたデットマール・クラマー氏を囲む会を開催した。クラマー氏は、6月2日に逝去した長沼健日本サッカー協会前最高顧問のお別れの会に参列するために、17日に来日。今回の囲む会では、当時の思い出を振り返りながら、3時間にわたって熱弁をふるった。
 
 「ナガヌマはドイツのゲルト・ミュラーのような偉大なゴールハンターでした。ミュラーは2度のワールドカップで14ゴールを決めましたが、ナガヌマもワールドカップに出ていたら同じように決められていたでしょう」。1970年にメキシコで行われたFIFAワールドカップの得点王を引き合いに出し、故・長沼健氏に最大の賛辞を送ったのは日本サッカーの父と言われるデットマール・クラマー氏である。
 日本サッカー協会と日本体育協会は7月18日、東京・グランドプリンスホテル赤坂で、6月2日に逝去した長沼健のお別れの会を挙行。クラマー氏は1960年当時、ともに日本代表をけん引した同志のお別れの会に参列するため、母国のドイツから来日した。クラマー氏は、かつての教え子らと再会し、「我々はナガヌマの死を悲しんだだけではなく、昔を思い出して笑い合った。それは人生が続いていくものだからだ」と話し、当時の思い出を語った。
 「彼らとともに過ごした時間が何よりも素晴らしかった。私は選手たちによく怒っていましたが、なかでもナガヌマは常にその先を行き、非常に情熱を持った方でした。それからコミュニケーション能力という観点からも理想的な人でしたし、本当によくチームを引っ張ってくれました。私は彼が声を荒げる姿を見たことがないし、実際に選手と1対1で個々を尊重してコミュニケーションをとっていました。大事なことは、選手を叱り飛ばすのではなくて、きちんと説得するということ。彼は説得力のある人でした。私はしばしば、日本サッカー界に偉大な貢献をしたと言われますが、それはとんでもない話。ナガヌマのほうがはるかに素晴らしい人でした」と、クラマー氏は83歳とは思えないほど矍鑠とし、身振り手振りを交えながら、日本サッカーへの熱い想いを語った。
 さらにクラマー氏は、北京オリンピックそしてワールドカップ最終予選を控える日本代表チームへのエールも忘れなかった。
 「日本に必要なのは、世界に置いていかれないこと。勝ちたいという強い意志を持ち、チームに身を捧げることが大事なのです。ただその中で、協力し合うだけでなくCohesion(結束)せずにチームの成功はありません。日本サッカー発展のためにも南アフリカへは必ず行くべきです」と説く言葉に、改めて世界進出の重みが伝わってきた。
 長沼氏は生前の病床で、「メキシコオリンピックから40年。10月24日、銅メダルを取った日にはみんな集まってくるから、がんばろう」という岡野 俊一郎最高顧問の言葉に、声は出せなかったものの手を強く握り返してきたという。
 40年ぶりのメダルがかかる北京オリンピックまであと3週間あまり。日本サッカーの歴史と伝統を築いた先輩らの期待を胸に、U-23日本代表、なでしこジャパンが世界の大舞台に立つ。