JFA DREAM 夢があるから強くなる










恵まれた日本人へ「観衆もメディアも負けたチームに優しすぎる」

インタビュアー:田村修一

週刊文春2007年1月4日・11日新年特大号より

シニカル、天邪鬼、皮肉屋。サッカーの世界では、彼の言葉を集めた「オシム語録」なるものも生まれている。 こういうと本人は怒るが、偉大な人物である。弱小チームであったジェフ千葉を、Jリーグで優勝争いを 演じるまでに育てあげ、ナビスコカップ優勝に導いた手腕は疑いない。 ユーゴスラビア内戦を経た人生には、普通の人間にはない深みが感じられる。 そしてシニカルなもの言いの裏には、人間に対する限りない愛情がのぞく。 約束の時間に訪れたわれわれを、オシムは一杯のコーヒーで歓迎してくれた。

――コーヒーが好きなんですか?

毎朝飲んでいるよ。私の国では、朝7〜8時から働きはじめ10時に小休止をとる。そのときにコーヒーを飲むんだ。

――その習慣は変わらないわけですね。日本で4年を過ごし、サッカー観は変わりましたか?

サッカーは、テレビや新聞、メディアで取り上げるスターだけで成り立っているわけではない。こういうインタビューを 受ける機会のない人々がたくさんいて、彼らはそれぞれ具体的な仕事を持っている。マッサーや用具係、選手でも、 スター選手のために水を運ぶ(汗かき役の)選手たち。そういう人々こそ重要なんだ。それは日本もヨーロッパも関係ない。

――しかし環境の違いはあるでしょう。

ヨーロッパでは、すべての人間がサッカーをよくわかっている。サポーターも選手同様にプロ化している。 もちろん彼らはそこから収入を得てはいないが、行動はプロそのものだ。クラブ、メディア、観衆。選手を とりまく環境は成熟し、選手に圧力をかけてくる。クラブ会長の発言や影響力も日本とは違う。日本の選手は、 そこまでの重圧にさらされてはいない。観衆もまだ本当の意味でサッカーを理解してはいない。 彼らはスペクタクルを求めスタジアムにやってくるが、サッカーとともに生活しているわけではない

――日本でも試合の持つ重みは、次第に大きくなっているのでは?

試合に負けてピッチを去るとき、ヨーロッパでは選手や監督はすでに多くのものを失っている。 勝てばその後の一週間は安泰だが、負けると何が起こるかわからない。決していいとはいえないが、 彼らはそういう生活を送っている。そこが日本とは違う。日本はサッカーが駄目でも、他の仕事がたくさんある。

――とはいえ環境は簡単には変えられませんが?

すべてを正常に働かせるために、われわれは努力している。しかしどれだけやれば正常になるのか、 誰にもわからないし、正常な状態というのは、ファンやメディアにとってあまり面白いものでもない。 特にメディアは、何か異常なことが起こらないと、記事にはならないだろう。

――新しい選手を発掘し、新チームを構築するあなたのやり方は正常ですが、 スター選手を選ばないので日本代表の人気が下降しています。

では聞くが、スターとは誰だ?

――ヨーロピアン(ヨーロッパにいる選手たち)です。

まず彼らは日本人だ(笑)。それにスターとはいいプレーをする選手であって、 ヨーロッパでプレーする選手のことではない。

――言葉の定義の問題ですね。

日本では、スターになるためにはヨーロッパに行かねばならないという認識がある。 それは第一に日本に対する過小評価であり、第二にはヨーロッパでも、活躍しなければ本当の 意味で認められない。日本のメディアにとっては、選手がヨーロッパに行くのはそれだけでいいことだろうが、 サッカー的にはそうではない。そこで得るものがなければ、メディアがいくら騒ぎ立てても選手は満足しない。 本物のサッカー選手になるにはちゃんとプレーすることが必要だなのにリザーブに甘んじてプレーの機会が 得られず、毎年クラブを変えねばならない。 中田英寿もそうだが、最後にはもういい、これで十分ということになってしまう。中田はあの若さにもかかわらず引退した。 逆に中村俊輔は、セルティックでチャンスを掴んだ。常に最高のプレーをしているわけではないが、常時出場しているのは ひとつの成果だ。高原直泰も、しばしば出場し得点をあげている。松井大輔は、レギュラーでそれなりにやっている。 彼らはまあいい。しかしそうでない選手もいる。誰もがすべてを尽くしてヨーロッパに行こうとするが、私は承服しかねる。

――たとえ成功しなくとも、ヨーロッパで経験を積むのはいいことではありませんか?

それは否定しないが、どういう経験かと考えてしまうよ。大久保嘉人はスペインで1年過ごしたが、あまりプレーしなかった。 彼は何を得て日本に戻ったのか。日本の監督もそれは分かっていて、彼はセレッソでも常時出場はしていない。 つまり日本でもスペインでも、監督は選手に同じ評価を下しているわけだ。ヨーロッパでプレーできなければ、日本でもプレーできない。 平山相太の場合も同じ。日本は捨てたものではないし、日本のレベルはそれなりに高いということだ。

――必ずしもヨーロッパばかりが優れているのではないと。

行ってもプレーできないのであれば、あまり意味がないと言っているだけだ。日本とヨーロッパ の比較は難しい。日本人はすぐに比較したがるが、テクノロジーや政治・経済の分野ではそれは簡単だ。 日本のほうが大概の面で優れている。しかしすべてにおいて優れているわけではなく、特にサッカーは別だ。 政治力・経済力の大きさは、その他の面で国の大きさを保障しない。 日本人がそれを理解するのはなかなか難しいだろうが。

――たしかにそう思います。

南米の国々を見ればわかるだろう。彼らは大国ではないが、サッカーをよく知っている。 そして決して高望みはしない

――そうした現実を日本人に伝えたいというのも、代表監督を引き受けた理由の ひとつでしょうか。

私が考えたのは、こういう状況(ワールドカップで1分2敗。若い世代は十分に育っていない)で、 誰がこの仕事を引き受けるべきか、ということだった。そしてすべてを正常な状態に戻すために、自分にできることをするべきだと思った

――それまでは正常ではなかったということですね。

そうだ。そして君の質問に戻れば、日本人は他者に対して、もっと敬意を払うべきだと思った。たしかに日本人は礼儀正しく、 他人を尊重している。だがちょっと違うと感じた。必要なのは、他人と面と向かったときの繊細さだ

――具体的にどういうことでしょう。

君たちはとても礼儀正しいし、きちんとしている。 しかし礼儀正しくあることと、他人に敬意を払うのは別だ。サッカーの世界でも、 たとえば10月に親善試合で対戦したガーナに対し、本当に敬意を払っていたのか。ガーナは地理的に遠いし、経済的に豊かとはいえない。 一般的な日本人にとって、そういう国にもサッカーが存在すること、しかも日本よりも優れたサッカーがあることを、認めるのは簡単ではない。 私は選手たちに、そういう国々にも関心を持つように言っている

――実際に彼らと接したときに、敬意を払えるかどうかですね。

(日本人は)過剰な敬意を払うか、まったく何もしないかのどちらかだ。無視もよくないが、 敬意を払いすぎてもいけない。日本では観衆もメディアも、試合に負けたとき選手やチームに 優しすぎる。政治・経済大国だから、ひとつのスポーツの勝敗ぐらいどちらでもいいという意識が、そこには現れている