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 欧州や南米では比較的早くからリーグと選手のプロ化が進んでいたが、日本では1965年にJリーグの前身である日本サッカーリーグ(JSL)がスタートした。日本スポーツ界初の全国リーグとして注目を集め、他競技の実業団リーグ誕生の先駆けとなったのだが、プロではなかった。企業チームで構成され、所属選手はそれぞれの企業に勤める社員が主体だった。そんな時代に、海外へ挑戦した日本人選手がいた。

1977年の転機

 日本人初のプロ選手として初めてドイツのブンデスリーガを舞台に海外挑戦をしたのは、日本代表とJSLの古河電工で活躍した奥寺康彦氏(現・横浜FC会長)だった。
 1976年にマレーシアのムルデカ大会で大会得点王になるプレーで日本の準優勝に貢献していた奥寺氏は、'77年冬と夏に行われた代表チームの欧州遠征にも参加。その夏の遠征で、当時25歳FWのプレーを目にしたケルン監督ヘネス・ヴァイスヴァイラー氏が高く評価。それがオファーにつながった。ちなみに、その数か月前の2~3月遠征時に、日本代表はケルンと対戦して1-4で敗れているが、その時の得点者が奥寺氏だった。
 '77年10月にケルンと契約すると早々にリーグ戦でベンチ入りし、10月22日のMSVデュイスブルグ戦でデビュー。同年12月のドイツカップ準々決勝では2ゴールでドイツ移籍後初得点をマークした。チームにフィットした奥寺氏の活躍もあって、ケルンは1977/78シーズンのリーグとドイツカップに優勝。翌シーズンにはチャンピオンズカップにも出場し、奥寺氏は準決勝のノッティンガム・フォレスト戦とのアウェーでの第1戦で、3-3の同点に持ち込むゴールを決めた。(その後、ケルンは第2戦に負けて敗退。)
 だが、ヴァイスヴァイラー監督が1979/80シーズン途中でチームを去ると、後任監督の評価を得られなかった奥寺氏は'80/81シーズン中に当時2部のヘルタ・ベルリンへ移籍。さらにその翌年、1部へ昇格したベルダー・ブレーメンへ移る。奥寺氏は2部リーグでのブレーメンとの対戦で敵将オットー・レーハーゲルに気に入られての移籍になったのだが、その後の彼の活躍を考えると、これは運命的な出会いだったと言えるだろう。
 奥寺氏はブレーメンで左ウィングバックとしてブレイクする。攻守にハードワークして安定したパフォーマンスで、同僚だけでなくサポーターから支持され、「オク」のニックネームで多くの人々から親しまれる存在になった。そしてチームは1部復帰初年度に5位に入ると、翌'82/83シーズンにはリーグ準優勝、以後、奥寺氏が在籍した86年まで、83/84シーズン3位、84/85~85/86シーズンは2年連続で準優勝という成績を収めた。

道を開く

 当時西ドイツでの奥寺氏の活躍は、プロ選手としてプロ化の重要性と必要性を示し、日本がプロ化を図る上で大きな刺激となったと言っていい。
 奥寺氏がJSLに復帰した1986年、日本サッカー協会がスペシャル・ライセンス・プレーヤーという名称でプロ選手登録制度を導入。元日本代表MFで当時JSLの日産(現・横浜Fマリノス)で活躍していた木村和司氏は、奥寺氏と共にこの契約を結んだ最初の選手になった。その後、日本はプロリーグ導入へ歩みを進め、'93年のJリーグ開幕を迎えた。
 奥寺氏に続いて、1980年代には2人の選手が西ドイツへ渡った。尾崎加寿夫氏(元三菱、ヴェルディ川崎)と風間八宏氏(現・川崎フロンターレ監督)だ。
 FWとして活躍した尾崎氏は、後に浦和レッズとなる三菱重工を'82年にJSL優勝に導き、日本代表でも'82年ジャパンカップ(現・キリンカップ)でオランダのフェイエノールトから4ゴールをあげるなどの活躍を見せていたが、'83年に三菱を辞めてアルミニア・ビーレフェルトに移籍。西ドイツでプレーする2人目の日本人プロ選手になった。

日本人対決

 尾崎、奥寺両氏はブンデスリーガで対決している。1983年11月5日のビーレフェルトでのブレーメン戦で両選手ともに先発出場だったが、欧州主要リーグで初の日本人対決の結果はビーレフェルトの2-0勝利で終わった。
 その後、尾崎氏はビーレフェルトからFCザンクトパウリ、アマチュアのトゥル・デュッセルドルフへ移り、1990年に三菱重工から三菱自動車に移行した古巣に復帰。'93年に移籍したヴェルディ川崎で現役を退いた。
 一方、風間氏は筑波大学在学中に代表デビューしたが、1983年の大学卒業後、海外移籍の機会を模索して'84年にバイヤー・レバークゼンと契約。その後、レムシャイト、アイントラハト・ブラウンシュヴァイクに在籍後、'89年にJSLのマツダで日本復帰。Jリーグ発足でサンフレッチェ広島として体制を整えたクラブで活躍し、'94年にはステージ優勝に貢献した。
 '70年代後半から'80年代初めにかけて、日本ではプロに対する社会的認識や理解は浅かった。インターネットもなく、海外サッカー情報も一部のテレビ番組や雑誌に頼る時代で、海外移籍は決して楽なものではなかったはずだ。彼らの挑戦は、日本サッカーの可能性を探る貴重なものだったと言えるだろう。

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(文:スポーツジャーナリスト 木ノ原句望)

第1章 クラブサッカーの歴史
1.世界最古のクラブ
2.サッカーとラグビー
3.イギリスから世界へ
4.プロ化から現代へ

第2章 旧トヨタカップからクラブワールドカップへ
1、ホーム&アウェーから日本へ
2、中立地開催での定着
3、2大陸王者対決の終焉
4、世界への道

第3章 海を渡った日本選手
1、日本サッカー途上期の先駆者
2、Jリーグ初期の挑戦
3、1998年以降の変化
4、海外移籍の波
5、クラブと代表チーム