NEWS

08/29

【コラム】日本女子サッカーの歴史 part.1

袴姿の選手
 2010年3月、一枚の写真が香川県丸亀市立市資料館で見つかった。セピア色に変色した「運動会」と書かれた写真には、袴を着て襷掛けをした十数人の女性たちが勇ましくもボールを追う姿が写し出されている。
この写真に写っている女性陣は、同市の丸亀高等女学校の女生徒とみられ、1924年に撮影されたものとみられている。
同校の生徒がサッカーに親しむことになった経緯については記録がなく、詳細は不明だというが、丸亀市内には第一次大戦中(1914~1917年)にドイツ人捕虜の収容所があったことから、彼らに影響されて始まったのではないかと推測されている。
この写真が発見されるまでは、1966年に神戸で女子クラブ結成を伝える報道資料が、日本の女子サッカーについて確認されている最も古い記録とされていた。つまり、丸亀高女のプレー写真の発見で、日本女子サッカーの歴史が一挙に42年も遡ることになったのだ。
 しかし、女子サッカーがいつ、どのようにして日本に上陸したのかは、明らかにされていない。サッカーの日本伝来は1873年とされているが、日本サッカー協会の前身である大日本蹴球協会の発足は1921年。女子サッカーの統括組織が出来るのは、それからさらに60年近く経った1979年まで待たなくてはならなかった。

 

全国大会とリーグの誕生
 前出の日本初の女子サッカークラブ誕生は1966年。神戸の福住小学校の6年生によって結成されたスポーツ少年団だったという。その後、神戸女学院の中学部3年生によって女子サッカー部も作られ、さらに、翌67年には神戸女学院大学で女子の試合が開催されたという。神戸を中心に動き出し、その後、東京でFCジンナンが結成されて、関東や東海地区で広がって行ったと考えられ、関東や関西で非公式のリーグが行われるようになっていった。
 こういう日本の各地の動きを結びつけることになったのが、1979年の日本女子サッカー連盟の設立と、翌年3月発足した初の全国規模の公式大会である全日本女子選手権大会の開始だった。
女子連盟の設立が女子サッカーの普及と強化を図るべく発足したものであることは言うまでもなく、同連盟は日本サッカー協会の傘下に入って活動を展開した。
連盟発足早々に始まった全日本女子選手権は、当初は参加クラブ数や競技人口の少なさから8人制というシステムで実施されたが、毎年定期的に開催が続けられ、2011年まで33回を数えるまでになった。
 初代王者は東京のFCジンナンだが、2回目から1986年までは静岡の清水第八スポーツクラブ(後の鈴与清水)が7連覇を達成し、初期の日本女子サッカーの牽引役を務め、東京の読売クラブをはじめとする、全国女子チームの刺激となった。全国大会発足の影響力は小さくなく、協会登録女子チームや登録選手数は1979年の52チーム、919人から翌80年には111チーム、2290人に跳ね上がった。
  その後、女子サッカーがアジア競技大会の正式種目として1990年大会から採用されることが決まり、女子代表チームの結成と強化の必要性が説かれるようになって、国内競技レベル基盤整備として1989年には日本女子リーグ(Lリーグ)が発足する。全国リーグの誕生が、女子サッカーの普及と強化に大きな役割を担ったことは言うまでもない。

 

苦難の時代
 Lリーグは、清水鈴与や読売ベレーザ、日興証券、プリマハムなど6チームでスタートし、91年には10チームに拡大。海外からも世界初の女子プロリーグの誕生として注目を浴び、中国、ノルウェー、カナダなどから代表クラスの選手を擁するチームも増えて、競技レベルも向上した。
協会登録もチーム数では1995年に過去最高の1217、選手数では1996年に同じく23764人を数えるまでになった。
 ところが、好調に運営されているように見えていた国内リーグも、1990年代終盤のバブル経済の崩壊で、苦難の時を迎える。チームの企業スポンサーが相次いで経営から撤退し、チームは規模縮小や解散に追い込まれる。リーグ発足10年を目前にした1998年には日興証券とフジタ、翌99年には鈴与、シロキ、松下、OKIが脱退し、Lリーグは1999年に10チームから6チームに縮小したばかりか、リーグ存亡の危機に直面した。
 しかし、リーグは大学チームなどアマチュアチームの参入を許すことで、なんとかリーグしての形態を維持し、2000年には参加チームの経費負担を助けるために、リーグ戦を全国展開から東西でのブロック方式での実施に変更するなど、運営形式に工夫を加えた。
その努力もあって、女子リーグは2004年にリーグはアマチュア形態に姿を変えながらも1、2部編成が可能なまでの体力回復をみせ、自動入れ替えも導入されるようになる。翌05年からはリーグ王者と全日本選手権勝者が対戦する、なでしこスーパーカップが始まり、リーグ戦も1部2回戦総当たりから3回戦総当たりに拡張された。
2006年からは名称をLリーグからモックなでしこリーグに変更。1部と2部の入れ替え戦も導入されて、経営は厳しいながらもリーグは拡大活性化で歩みを進め、今日に至っている。

(文:木ノ原 句望)