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国際交流・支援活動

【海外赴任レポート】 ミャンマー 熊田 喜則さん 2012年1月

【プロフィール】

熊田 喜則(くまだ・よしのり)

1961年8月25日生まれ。福島県東白川郡出身。
福島県立棚倉高校から三菱養和サッカークラブ、全日空横浜サッカークラブで選手として活躍し、全日空横浜サッカークラブを手始めに多くのサッカークラブ、高校、大学の指導に携わった。1992年にC.B.F ブラジルサッカー協会公認プロライセンスを取得。2004年にJFA公認S級コーチ資格を取得。1997年に地元、福島.FCのコーチに就いたが経営難で解散。翌年、大阪学院大学監督として招聘(しょうへい)される。大阪学院大学では、当時関西学生サッカーリーグ2部所属のチームを3年で1部に昇格させ、全日本大学サッカートーナメント(総理大臣杯)に出場。石櫃洋祐(名古屋グランパス)、佐々木勇人(ガンバ大阪)らを育てた。Jリーグ発足から20人以上の選手をプロに送り出している。
2010年、大慶大学サッカー部(韓国)を指導し、全国大会に導く。2011年8月よりミャンマー女子代表監督に就任。就任間もない10月のAFF WOMEN'S CHAMPIONSHIP 2011 LAOSで準優勝に導く。2013年にミャンマー・ネピドー市で開かれるSouth East Asian Gamesの優勝を目指し、ミャンマーサッカーの強化に当たっている。


~派遣国・地域の紹介 : ミャンマー連邦共和国~
インドシナ半島の西部に位置し、中国、ラオス、タイ、バングラデシュ、インドと接する。首都はネピドー。面積は68万平方km(日本の約1.8 倍)で、人口は5,322 万人(ミャンマー政府、2004)。公用語はミャンマー語で、民族の約70%はビルマ族。その他多くの少数民族が暮らしている。
FIFA ランキング:男子172位、女子47位(2011年12月23日時点)

ミャンマー(ビルマ)のサッカー

 2011年8月からミャンマーフットボール連盟(MFF)のミャンマー女子代表監督として活動して3 カ月がたちました。
 ミャンマーに来るときには、いろいろな話を聞かされ、不安もありました。皆さんもミャンマーと聞けば「軍事政権」「自宅軟禁されている民主化運動指導者アウン・サン・スー・チー女史」、そして反政府デモによる事件等が思い浮かべられると思います。しかし、私が考えていた状況よりずっと落ち着いていますし、人々も活気に溢れた表情をしています。
 ミャンマーの朝は、とても早く始まります。まだ薄暗い中、露店が並び始め、路地でストリートサッカーの始まりです。女子代表の練習も日中の暑さを避けて7 時には始まります(ミャンマーでは、朝と夕方の2 部練習が普通)。そんな移動中に目に留まったのが、女の子だけのストリートサッカーです。ブラジルでも見たことのない光景です。
 男子のMNL(ミャンマーナショナルリーグ)が小野剛氏の働き掛けで3 年前に誕生しました。創設当時は8 チームでスタートしました(現在は12 チーム)。女子チームは現在10 チーム前後で、各省庁のチーム、プロチームの下部組織、そしてヤンゴンとマンダレーのアカデミーのチームがあります。しかし、リーグ戦はなく、10月と12月に全国大会が開催されます。代表チームはその10チームから選抜されたチームです。
 私が住んでいるホテルの近くに「THUWANNA STADIUM(トゥアナ スタジアム)」(別名ユーストレーニングセンター)があり、各年代の代表選手が寮生活を行っています。
 私が初めてミャンマー女子を見たときには、選手個々のポテンシャルの高さに驚かされました。そしてミャンマー人の「まじめさ」「頭の良さ」に気付きました。しかし、昔の軍国主義による「おしつけ」「しめつけ」の影響で質問や疑問に思うことが許されなかったので、言われたことはするが、自分で考えて行動を起こすことができないのが欠点です。
 そこで、私は「ミャンマー人の良さは何?(ミャンマール ミョリェ カウン クェガバレー)」の質問から始めました。「得意なこと」を聞き出し、練習にとり入れることを考えました。
 そこで、「技術の高さ」「ドリブルバランスの良さ」、そして「パス」がうまいことに気付きました。そうです。日本人に「体格」「技術」「考え方」がとても似ているのです。何か数十年前の日本サッカーを見ているようでした。「メチャクチャ蹴るな」と言っていた時代を思い出しました。

World goes around Football goes around

 私は、ミャンマーに来る前に恩師よりチョー・ディン氏(KyawDin)の話を聞かされました。日本に初めてサッカーの指導と理論を伝えたのは、ミャンマー(ビルマ)からの留学生チョー・ディン氏であるということを初めて知りました。そして「World goes around」「Football goes around」という言葉を教えていただきました。良い言葉です。
 私は、この言葉を使いビルマサッカー復活に力を注いでいます。

AFF WOMEN'S CHAMPIONSHIP 2011 LAOS Preparations for Myanmar football revival

 私が監督に就任してすぐに「AFF WOMEN'S CHAMPIONSHIP 2011 LAOS」が2011年10月16日からラオス・ビエンチャン市で開かれました。東南アジアのトップ8 の戦いです。2007年にはミャンマーが自国開催で優勝していますが、それ以来、タイ、 ベトナムに勝っていません。
 ミャンマーは、予選B グループ(タイ、フィリピン、マレーシア、ミャンマー)に組み込まれました。A グループは、強豪ベトナム、インドネシア、シンガポール、開催国のラオスの組み合わせになりました。
 ASEAN(東南アジア諸国連合)の中でもタイ、ベトナムは組織的に選手を配置しています。守備にパワーのある選手(キック力のある選手)を配置し、奪ったボールを一気に前線に運んでカウンターアタックをしかけます。また、タイの守備の特徴は、前線で1 人が遅らせている間に素早く自陣に戻るリトリート戦術をとり入れていました。ベトナムは、オールコートでハイプレッシャーの守備から奪ったボールを俊足のFW を使い、カウンターアタックをしかけます。身体能力が高いベトナムが組織的なサッカーを覚えたら、将来中国のような存在になるような気がします。そして他のチームは、チーム力に開きがあるように思います。大量失点を防ぐために能力ある選手を守備ラインに置いていることが特徴です。「点を取るより、奪われるな」の考えです。
 ミャンマー女子は、細かいパスワークからの展開が特徴です。しかし、守備ラインには、タレントが不足しています。「大きい」「速い」「パワーがある」といった選手が非常に少ないのが悩みの種です。
 この大会を勝ち上がるためには、予選リーグでタイに勝たなくてはなりません。準決勝でベトナムとの戦いを避けるためです。タイとの戦いは、予選リーグ最終戦なので、事前に選手にフィリピン、マレーシアとの試合でコンディションの良い選手を使うと伝えていました。問題は、タイの右サイドにいる俊足の⑤KANJANA SUNG-NGONN を抑えられるかです。前半は抑え込んでもミャンマーDF 陣の体力が後半まで持つかが問題でした。前半は1-0 で折り返しましたが、結局、KANJANA SUNGNGONNに1得点2アシストの活躍をされ、完敗に終わりました。
 ここでミャンマー女子は、窮地に立たされました。準決勝の相手は、6 年間勝っていないベトナムです。ベトナムは予選リーグ3試合で26 得点1 失点と抜群の得点力を持っています。しかし、分析しているとあることに気付きました。それは、ベトナムはオールコートで守備をするので、後半運動量が極端に落ちることです。前半をしのげばどうにかなると思い、前半は守備的に布陣しました。そして後半、「俊足攻撃陣」を投入して勝ちにいく戦略で試合に臨みました。しかし、前半終了間際、コーナーキックからのこぼれ球をペナルティーエリア外から決められて失点してしまいました。ハーフタイムは、スタッフも選手もバラバラの状態です。私は、「少し黙っておいてくれないか?いろいろな指示を出されたら選手は分からなくなる。選手を信じて自分たちでやらせろ」と指示しました。そして「戦術通りやれば勝てるから」と言い、送り出しました。そして後半、ベトナムのエース⑩ Thi Hoa、⑮Huynh Nhu が足をつり、交代しました。ミャンマーは、戦略通り交代した⑭ Naw Arlo War Phaw(Arlo)が得点し、見事に逆転勝利を収めました。このときは優勝したかのような喜びでした。ミャンマーにとって、タイ、ベトナムとの試合は、日韓戦のような試 合で、昔からの特別な感情を背負った戦いだそうです。
 決勝では再びタイに1-2 で惜敗しました。しかし、少しアジアの影が見えてきたように思います。
 私の使命は、2013 年に開催される、2013 SEA GAMES(South East Asian Games 2013 NAYPYITAW[ネピドー])です。そのファイナルの舞台に立つために、時間の許される限り、日々準備を続けたいと思います。
 そして私は、恩師の言葉を胸に「ビルマ(ミャンマー)から日本へ、日本からミャンマーへ」、ミャンマーサッカー復活のために努力して頑張っていきたいと思います。