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国際交流・支援活動

【海外赴任レポート】 カンボジア 手島 淳さん 2008年3月

【プロフィール】

手島 淳(てしま・あつし)

岡山県津山市出身。1963年6月20日生まれ44歳。
ドイツ、オランダ、旧ユーゴスラビアにコーチ留学・研修し、その縁でハンス・オフト氏(元日本代表監督)の通訳を務める。
指導者としては、横浜フリューゲルス(当時)、ジュビロ磐田などでプロ選手から育成、グラスルーツ、 日本女子サッカーリーグと多岐に渡って指導経験を持つ。今回、JICAシニアボランティアとしてカンボジアサッカー連盟に派遣、 2007年秋に開催されたAFC U-16選手権予選大会に監督として参加した。ドイツサッカー連盟Bライセンスコーチ。任期は2008年5月まで。


~派遣国・地域の紹介 : カンボジア~
カンボジア王国。インドシナ半島に位置し、ベトナム、タイ、ラオスに囲まれている。 気候は熱帯モンスーン気候で、季節は大きく6月~10月の雨季と、11月~5月の乾季に分かれ、 3月~5月が最も暑い時期で日中の気温は40度に達する。面積は18万1,000平方キロメートル(日本の約半分)で、 人口は約1,282万人。首都のプノンペンは、人口約140万人を誇る政治、経済の中心地。 人口のおよそ90%がクメール人(カンボジア人)で公用語もクメール語である。(以上、在カンボジア日本国大使館、 カンボジア政府観光局ホームページより)。FIFAランキングは1 8 4 位(2008年1月現在)。


ユース年代の育成・強化体制の整備~AFC U-16選手権予選大会を通して

 カンボジアと言えば、アンコールワット、地雷、ポルポト政権の歴史、水上生活などが、 私のカンボジアに対するイメージでした。しかし、いざ現地に行ってみると郊外に行けば真っ平らな平地に椰子の木、 時折姿を見せる広大な田んぼなど、のどかな国で、これまでに移動したカンボジア国内の主要な町には地雷などの危険箇所を 一度も見ることはありませんでした(タイとの国境近辺だけのようです)。 毎日30℃を越える厳しい暑さはあるものの、のんびりした国です。
 私の任務は、カンボジアのユース年代の選手の育成・強化体制の整備です。今回は、その一環として、 昨年秋に行われたAFC U-16選手権予選大会に監督として参加しました。準備としては、日程の変更も手伝い約6週間、 合宿と通い合宿を繰り返して55回のトレーニングを行うことができました。 技術的なレベルは十分でないものの思ったよりも良く、また短期間で改善できたことも多かったのですが、ヘディング、 中・長距離パス(20m以上)は、これからのトレーニング環境に大いにかかわってくる問題だと思います。 戦術に関しては、ストリートサッカーの延長線上で、とにかく守備の意識が「ほとんどない」状況の中、 この部分に多く時間を使いました。そんな中、カンボジア人コーチ・選手の中には「手島の考え方は守備的だ!」 というような声もありましたが、それに対して「攻撃するにはボールが必要だろう!」が、 いつの間にか私の口癖になっていました。
 大会自体は予想通り、U-15日本代表(大会参加時)が、頭3つほど抜け出たような圧倒的な巧みさ、強さだったわけですが、 カンボジアは初戦のベトナムに1-1で引き分け。この結果は、彼らにとってかなりうれしかったようです。 日本には0-7と大敗しました。現在の実力では妥当だと思いますが、 キックオフ20秒で誰もボールに触ることができずに失点したことは、大きなショックでした。

 この後、私は意図的に厳しい姿勢で選手に接しましたが、選手たちはそれに慣れていないせいか、 中には反発する選手も出てき始めました。香港戦では精彩を欠き1-1で引き分け、ラオス戦ではまたしても0-6と大敗してしまいました。 日本戦、ラオス戦共に戦い方を変えていれば、こんなに大きな差は出なかったかもしれませんが、 とにかく準備期から行った守備の準備(マーキング、ポジショニング)、ボールを積極的に取りに行くこと(プレッシャー)は、 ポリシーとして変えたくなかったので貫きました。しかし、それが仇になったのは否めません。 「当たって砕けろ!」とは、まさにこれらの試合でした。
 最終戦のインドネシア戦を前に1次予選敗退が決まりましたが、選手たちのモチベーションは一人を除き前向きでした。 その彼は今までしかられたり、試合のメンバーから外れることがなかったようです。 それはある意味、カンボジアの社会性を反映している面もあり、私は屈することなく対応したのですが、この最終戦、 スタッフともいろいろ相談し彼を起用しました。前半、チームとしてはまずまずの内容でしたが、 彼はいまだに何かを引きずっていました。ハーフタイムの雰囲気もこれまでと違い、 選手たち自身が何か手応えをつかんでいるかのようだったので、その選手へ「私に対して感情的になっているのは分かる。 でも君の胸にはカンボジアの国旗がついている。そして仲間がこれだけ頑張って勝利を目指しているのを見て、 君は何も感じないのか? この試合は私とのことは忘れて、カンボジアと仲間のためにプレーしてくれないか?」と 彼に告げました。後半は、ピンチもありましたが、終了間際の得点を守りきり、勝利を収めることができました。
 結果、グループ4位(1勝2分け2敗)という成績。決して良い結果とは言えませんが、大会が終わって2カ月、 しだいに分かってくる選手たちの置かれているサッカーの環境は、活動する場所(練習場・チーム)がほとんどない中、 6週間の準備で本当によくやったと、今では思います。時々、選手たちと街中で会いますが、 しかった選手も「いつ、あなたの練習はあるのですか?」と聞いてきました。
 任期も半分を過ぎたわけですが、ユース年代の選手の育成・強化としては、 とにかく練習の設備・世代別のチーム活動がほとんどない中、ユース指導者の養成、環境整備と強化プランに重点を置き、活動します。