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国際交流・支援活動

【海外赴任レポート】 キルギス共和国 八橋 健一さん 2013年1月

【プロフィール】

八橋 健一(やつはし・けんいち)

1969年2月6日生まれ。愛知県江南市出身。
中学のサッカー部でサッカーを始める。高校中退後、ブラジルに2年半渡り、1988年に2部のクラブでアマチュア選手登録をするが、実力に限界を感じて現役選手の道を諦め、ニューヨーク市の大学に芸術専攻で進学。1992年に少年サッカーのコーチをアルバイトとして始めたのがきっかけとなり、指導者の道を歩む。クラブチームで育成年代の6歳から18歳までの男女を指導、大学サッカー部男女監督、トレセンでの指導、アメリカサッカー協会指導者養成コースインストラクターなどを務める。2005年には男子大学サッカー部が全国大会で3位に、同年コーチオブザイヤーも受賞。2011年12月に日本帰国後、JICAより派遣指導員としてキルギス共和国の育成年代の向上にあたる。USSFA級ライセンス保持。


~派遣国・地域の紹介 : キルギス共和国~
中央アジアに位置し、カザフスタン、中国、タジキスタン、ウズベキスタンと隣接。首都はビシュケク。面積は19万8,500平方km(日本の約2分の1)で、人口は540万人(2011年国連人口基金)、キルギス語が国語で、公用語はロシア語。民族はキルギス系75%、ウズベク系14.3%、ロシア系7.2%など(2011年キルギス統計委データ)。宗教はイスラム教スンニ派が75%、ロシア正教20%、その他5%(以上、外務省ホームページなどを参考)。
FIFAランキング:199位(2012年12月19日発表時点)

 2012年7月から同年11月の5カ月間、キルギス共和国で活動しました。キルギスは2010年に革命が起こったばかりの国で、明日何が起こるか分からない国。「プラン」を作って進めるという文化はありません。
 私の赴任が決まってから現地に到着するまでの短い期間中に、キルギスサッカー協会のジェネラルセクレタリー(GS)が突然代わり、到着早々、新G Sに「前G Sが君を招聘(しょうへい)したのは知っているが、それは自分が決めたことではないので、どう扱ったらいいのか分からないんだ」と言われました。

 結局、「1カ月ほど視察してもらい、キルギスサッカーの向上のためには何をしたら良いのかプレゼンしてもらおう」と決まったらしく、首都ビシュケク内とU-15の大会が行われたナリン地区を視察後、約45分ほどのプレゼンを行い、翌朝の会議で自分を中心として育成年代のサッカーの改革が行われることに決定しました。またこの期間中に、U-14代表の選手選考を兼ねた練習を1回指導し、それを協会の人たちのほぼ全員が見ていたので、1カ月のテスト期間で周囲を納得させることに成功したと考えています。今までいろいろな場所で生きてきましたが、新しい場所では、自分の実力を証明することは当然のことだと思います。

キルギスでの任務

 現地では、大きく2つの役割を与えられました。1つはU-14代表の指導、もう1つは指導者の指導です。8月にFIFA公認のU-14国際大会が迫っていたので、まずはU-14代表の指導に集中しました。それまでチームを指揮してきたキルギス人指導者が私のサポートをする形で指揮を執りました。F I F Aランキング1 9 6位(当時)の国ながら良い選手もいましたし、選んだ1 8名の選手が水を吸い取るように向上し、わずか10日間の合宿でしたが、かなりの進歩が見られました。
 大会は、近隣国4カ国を招いて行われ、各国の指導者から「戦術的な意図が見られる」「以前とは全然違うチームのようだ」と好評価を得ました。GKを含めたDFの選手からパスで攻撃を組み立てる戦術をとったため、リスクが常につきまとい、経験不足によるミスで失点を招いて3位に甘んじましたが、向上しながら戦うためには、特にこの年代では避けきれないことだと思います。
 また、この大会を通じて大きな問題点が認識できたのも収穫でした。近隣国を含め、キルギスでは年齢を偽ったドキュメントを使用している選手が多くいること、キルギス国内で北部と南部が敵対するように分かれていること、「キルギス南部代表」の指導者の方々は試合中から酔っぱらっていることが多いこと、などです。
 9月に入ってからは指導者の指導とU-14代表の再編成のために、19日間連続で地方回りをしました。各地域での文化の違いや言葉の違い(ロシア語が公用語ですが、キルギス語しか話せない人や、ウズベク語しか話せない人も少なからずいます)などが理解でき、また地方で才能のある選手も発掘でき、非常に有意義な19日間でした。デコボコな道を、時には片道9時間かけて車で移動したため、体力勝負の19日間ともなりました。
 私の以前のさまざまな経験から、日本ほどスムーズに上から下までいろいろなことが全国に伝わる国は稀であると思います。それがこの20年間の日本サッカーの躍進を生んだと思います。つまりは、指導者の質と量の向上です。私は1986年に日本を出、2011年11月に約7カ月ほど日本の指導現場を視察するまで、まとまった期間、日本の指導者を観察する機会がなかったため、余計にJリーグ前と現在のコントラストが見えるのですが、今のキルギスはJリーグ発足前の日本の指導者の状況に当てはまると思います。さらにさまざまな問題点が重なり、指導者の質と量の向上は絶対に必要なのですが、非常に難しいと感じています。
 10月に入り、A F C C級ライセンスコースのアシスタントインストラクターを務める機会に恵まれました。ヘッドインストラクターは非常に経験豊富なウズベク人の方で、良い経験になったと思います。また、今まで働いていた英語-ロシア語の通訳の方が、AFCコースの2日前に突然辞めてしまったため、通訳なしで指導実践を行えたのも非常に良かったと思います。以前、ニューヨーク市の育成年代クラブチームBrooklyn Patriotsや2年制大学のBorough of Manhattan CCサッカー部を指導していたときは、英語の分からない選手もいたので、なるべく言葉を使わない指導方法ができる経験が生かされたと思います。自分のロシア語は英語に比べたら話せないに等しいので。

 11月もまた精力的に地方に出て行き、できる限り2回訪問できるところは訪問しました。そこでかなり各地方のサッカー関係者の方々と近い関係になれたのは大きな収穫だと思います。
 12月から2月を日本で過ごした後、2013年3月にキルギスに戻ったときは、技術委員長としても活動することが決まっています。“3足のわらじ”を履きながら、2013年9月に行われるAFC U-16選手権予選の成功を足掛かりに、育成年代の向上を進めていこうと思っています。