JFA|日本サッカー協会  Japan Football Association
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 少し前の話になりますが、先週5月3日に開催されたアジアサッカー連盟(AFC)の総会で、AFC功労賞が授与され、日本サッカー協会(JFA)の浅見俊雄顧問がゴールドスターアワード(30年賞)を、小倉純二名誉会長がシルバースターアワード(20年賞)を、小幡真一郎JFA審判委員会副委員長がブロンズスターアワード(10年賞)を受賞しました。

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 写真は、AFC総会の時に撮影された今回のゴールドスターアワード受賞者の皆さんで、日本からは浅見顧問が出席しました。

 浅見顧問は、現在79歳。埼玉県立浦和高校サッカー部で活躍し、国民体育大会の高校の部で優勝。卒業後は東京大学に進学し、記念すべき第1回の全日本大学サッカー選手権大会(1951年)に出場して初代王者に輝きました。
 1959年には1級審判員の資格を取得。その2年後の1961年に国際審判員に。1964年の東京オリンピックでは線審(現、副審)を務めました。日本サッカーリーグ(JSL)で笛を吹きながら、1979年のFIFAワールドユース選手権(現、U-20ワールドカップ)やAFCアジカップ、アジア競技大会などの大舞台でも活躍。1983年にはFIFA審判員特別功労賞を受賞しています。1986年にAFCの審判委員に就任し、その後副委員長を歴任。審判教育や体力トレーニングの導入により、審判員制度に厳しい基準を設けるなどアジアの審判会における規律の重視と技術力向上をけん引してきました。また、AFC規律委員会の委員、副委員長も歴任し、フェアプレーの徹底にも尽力しました。
 AFCの職務を退く2002年にシルバースターアワードを受賞。JFAでは1978年に理事、1991年からはJリーグの理事を兼務するなど、日本サッカーの発展にも力を注いできました。その活動が認められ、2010年に日本サッカー殿堂にも掲額されました。

 長年の功績が認められての今回のゴールドスターアワード受賞。浅見顧問は、「ワールドカップで笛を吹ける審判員を送り出すことを目指してやってきた。その活動が認められたことは大変うれしい。これからもアジアのサッカーの発展とフェアプレーの推進のために役に立てたら」と喜びを語っていました。

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<AFCの総会で記念の盾を手にする浅見顧問(中央)。写真左はFIFAのジョセフ・S・ブラッター会長、右がAFCのシェイク・サルマン新会長>

 ちなみに、日本人で過去にこのゴールドスターアワードを受賞したのは、JFAの元副会長で2002年のFIFAワールドカップ招致に尽力された村田忠男さん(故人/2002年受賞)、JFA元国際委員の藤田一郎さん(2009年)、そして、昨日の「JFA TODAY」でもご紹介した大畠襄先生(2010年)。浅見顧問で4人目となります。また、2005年には川淵三郎最高顧問がダイヤモンド オブ アジアを、2008年には長沼健元会長(故人)が同じくダイヤモンド オブ アジアを受賞しています。

 小倉名誉会長は皆さんよくご存じだと思います。1994年にAFCの理事に就任(~2011年)。2002年から9年間にわたってFIFA理事を務め、日本サッカーの国際化に力を注ぎました。今年の春の叙勲では旭日中綬章を受章しています。
 朗らかでオープンマインド、フェアでリベラルな人柄でAFCやFIFAの要人にも厚い信頼を持たれています。また、小倉名誉会長がヘッドオブデレゲーションを務める国際大会の現場では、「小倉組」としてスタッフがまとまるほどの人気。もちろん現在も世界と日本をつなぐ架け橋として奔走しています。

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 ブロンズスターアワードを受賞した小幡真一郎JFA副委員長は、元は高校の教師。高校サッカーの指導者として国立競技場の舞台に立つことを目指していた小幡教諭(当時)は必要に迫られて審判員資格を習得。その後、あれよあれとよいう間に1級審判から国際審判員となり、その後は、1級審判インストラクター、JFAトップレフェリーインストラクター、S級審判インストラクターなどを歴任。2007年にはAFCレフェリーアセッサーとして、アジアの審判員のレベルアップに寄与してきました。昨年、この任務を解かれ、現在はJFAの審判委員会副委員長として審判員の育成や環境整備に忙殺される毎日を送っています。

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<写真左から小幡副委員長、浅見顧問、上川徹審判委員長>

 日本人の長年の活動がFIFAやAFCで認められ、讃えられるということはやっぱり嬉しいですね。