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トピックス

2010/11/08

AFCチャンピオンズリーグ2010決勝 城南一和(韓国)情報

ACL2010のこれまでの戦い
 グループリーグE組で、川崎フロンターレ、北京国安、メルボルン・ビクトリーと居合わせた。6戦を戦い5勝1敗、勝ち点15で難なく首位突破を果たしている。ちなみに川崎フロンターレはホームで城南一和を3-0と大破したが、北京国安に2敗を喫した影響で3位に終わり敗退を喫している。
 準々決勝進出の8チームが確定した時点で、韓国国内が色めきたった。じつに4チームがKリーグ勢だったからだ。城南一和とともに勝ち上がったのが、全北現代(09年Kリーグ年間チャンピオン)、水原三星ブルーウイングス(同3位)、浦項スティーラーズ(韓国FAカップ優勝)。
 準々決勝は、水原三星ブルーウイングスとの同国対決となった。国内有数の人気クラブを相手に合計スコア4-3の激戦を制し、韓国からは唯一の準決勝進出チームとなる。
 準決勝の相手はアル・シャバブ(サウジアラビア)。アウエーでの第1戦で黒星を喫するものの、スコアは4-3。敵地で3ゴールを挙げた点が最終的に勝敗を決定付けた。第2戦はホームで1-0の勝利。合計スコアは4-4だが、アウエーでのゴールが2倍に換算されるルールが適用され、ファイナリストの座を手中にした。ここまでモリーナが7ゴールを挙げ、大会得点ランキング2位につけている。
 
過去のAFC大会の出場歴
 前身のアジアクラブ選手権を含め、今大会で8回目の出場。95年に優勝、96年、97年、04年に準優勝。

注目選手
◆チョン・ソンリョン
2010 FIFA ワールドカップ 南アフリカ大会TM時の韓国代表正GK。身長190センチの高さと、冷静沈着な判断能力を併せ持つ。日常生活でも寡黙で、冷静な一面があるのだという。高校卒業後、03年にKリーグ・ポハンに入団したが、最初の3年間で1度も出場機会を得られなかった。06年15試合の出場機会を得ると、チームはリーグに優勝し、カップ戦では準優勝。一気に株価を上げた。08年、ソンナムに移籍。当時在籍した代表クラスGKとのポジション争いに勝ち、守護神の座を欲しいままにしている。

◆サシャ・オグネノフスキー
195センチの高さが最大の売りのマケドニア系オーストラリア人CB。Kリーグでも採用されているアジア枠の選手として活躍する。オーストラリア国内やギリシャリーグでのプレーを経て、09年に城南一和に加入。すぐにチームを2位に引き上げる活躍を見せた。2010年夏、それまで主将を務めていた韓国人選手が徴兵のためにチームを離れた後に、キャプテンに就任。外国人がこの座に就くのは、Kリーグ史上初でもある。

◆チョ・ビョング
かつて「日韓戦で決勝点を献上した男」と言えば、分かりやすいだろうか。03年4月、ジーコジャパン時代の日韓戦(ソウルワールドカップスタジアム)。試合終了間際にゴール前での自身のクリアボールが、プレスをかけてきた永井雄一郎(当時浦和)の右足に当たった。これが不運なかたちでゴールに吸い込まれ、決勝点となった。あの後、肩の負傷などに苦しみ代表からは遠のいた。Kリーグクラブ間の交換トレード要員とされる屈辱も味わった。7年の時を経て、クラブチームの一員として国際舞台にカムバックする。持ち味のライン統率力を発揮し、チームをアジアチャンピオンに導くか。

◆モリーナ
コロンビア国籍の高速MF。クラブの伝統ともなりつつある、「高価な外国人選手」でもある。09年7月、城南一和に加入した際には125万ドル超えの移籍金が発生したともされる。それまではブラジルの名門サントスで背番号10を担っていた。母国の他、パラグアイ、UAE、セルビアリーグでのプレー経験がある。韓国でもすぐにフィットし、09年のKリーグプレーオフで貴重なゴールを連発する大活躍。年間総合成績2位入賞に貢献し、今大会出場権獲得の立役者となった。

◆ナムグン・ド
186センチのハイタワー。ポストプレーヤーとして前線に張り、ペナルティエリア内で破壊的なプレーを見せる。代表歴はそれほど豊富ではないが、国内では着実な評価を得てきた。こういったタイプを目にできるのも、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)の魅力の一つだろう。ちなみに姓が「ナムグン(南宮)」で名前が「ド(道)」。韓国では珍しい、漢字2文字の姓だ。「ナム・グンド」ではないので要注意。

チームのプレースタイル
堅守速攻からのカウンターが最大の売り。先の2010 FIFA ワールドカップ 南アフリカ大会TMでも代表正GKを担ったチョン・ソンリョン、元代表のチョ・ビョングを中心とした堅固な守備ラインから、186センチの長身FWナムグン・ドらに素早くパスを当てるサッカーを展開する。モリーナ(コロンビア)らを中心とした俊足揃いのMF陣は、しっかりとした守備意識を共有しつつ、カウンターアタック時にはスピードを発揮する。警告累積などで、決勝戦では長身FWラドンチッチ、ボランチのチョン・グァンミン、サイドバックのホン・チョルのレギュラー級3人を欠く。この影響をいかにカバーできるかがポイントになりそうだ。07年の同大会準決勝で浦和レッズと激戦を繰り広げた当時のチームが記憶に新しいが、プレースタイルは大きく変化している。当時のチームは選手補強に大金をかけ、「韓国版銀河系」とも言われ多様な攻撃ルートを有したチームだった。現在はクラブの予算規模を縮小した影響もあり、打たれ強いチームへと生まれ変わった。

監督プロフィール
◆申台龍(シン・テヨン) 
現役時代はソンナムで12年間プレーした「ミスター・ソンナム」。リーグ、カップ戦合計で401試合出場(Kリーグ歴代2位)、99ゴールを記録した。
174センチと小柄ながら、豊富な運動量、キャプテンシー、知的なプレーを駆使し、中盤の攻守をコントロール。国内リーグでは歴代最高レベルの活躍を見せた。獲得したチームタイトルは、Kリーグ優勝6回(国内最多)、アジアクラブ選手権(現AFCチャンピオンズリーグ(ACL))優勝1回など。個人タイトルは新人王、得点王1回、MVP2回。Kリーグで2度MVPを獲得した選手はシン・テヨンのみだ。また、全盛期にも不思議と代表との縁が薄かった点が「ミスター・ソンナム」の印象をより強めている。国際Aマッチ出場数は21試合で3ゴール。92年のバルセロナオリンピックが唯一の主要国際大会出場歴だ。キャリアの晩年(05年)をオーストラリアAリーグで過ごしたが、負傷もありわずか1試合の出場で現役を引退した。試合中、パスを相手に強く印象付けながら、勝負どころで突如鋭いドリブル突破を仕掛けるプレーは有名だった。2008年12月に就任すると1年目のシーズンでチームをKリーグプレーオフ決勝、韓国FAカップ決勝に進出し、監督としての手腕を発揮した。

自国リーグでの戦い(ACL2010出場権獲得までの経緯) 
 09年、Kリーグで年間総合成績2位に入り今大会への出場権を得た。「名門復活」を強く印象付ける、出場権獲得だった。
 06年のリーグ優勝を最後に、07年2位、08年5位と停滞期に陥っていた。08年を最後に「韓国版銀河系」と呼ばれたチームを率いたキム・ハクボム前監督が退任する。
 新指揮官の座には、00年代初頭にチームがKリーグ3連覇を達成した当時の主将、シン・テヨンが就任した。ただし、指導者のキャリアがほとんどないシンの正式な役職名は「監督代行」だった。
 かつての派手な選手補強から一転、補強費用を大きく抑えたチームは堅守速攻に徹底するスタイルに生まれ変わった。シーズン序盤の不安定な戦いの影響もあり、リーグ戦を4位で終えたが、6位以上が出場するプレーオフに進出。ここでしたたかな戦いぶりを見せた。初戦の仁川ユナイテッド戦でPK勝ちを収めると、全南ドラゴンズ、浦項スティーラーズ(09年ACL王者)といった難敵をいずれもモリーナのゴールで沈め、チャンピオンシップに進出。リーグ戦王者のチョンブクの前に敗れたが、Kリーグ年間順位3位以上に与えられるACL出場権は得た。当然のごとく、シン監督は翌2010年から正式に監督の座に就任している。
 
過去のACLでのエピソード
悲劇的な幕切れを迎えた04年ファイナルは、韓国国内でも語り草になっている。決勝戦をホームアンドアウエー形式で争った時代の話だ。
11月24日、アウエーに乗り込みアル・イテハド(サウジアラビア)との第1戦を3-1のスコアで制した。
優勝は手にしたも当然だった。ホームの第2戦では、0-2以上の敗戦を喫しない限りカップを手に出来る圧倒的優位な状況。12月1日、当時のホーム・城南総合運動場には満員の観客が集まった。
ところが……ここで城南一和は大敗を喫してしまう。前半にセットプレーから2失点。後半にも立て続けに3点を失った。0-5。まさかのスコアだった。
「アウエーの初戦に勝ち、油断していたのは確か」(当時のキャプテン、シン・テヨン/現監督)。
楽勝ムードに浮かれてか、中盤が完全に前がかりになり、チームはバランスを失った。守備ラインも不安定なパフォーマンスに終始した。
歴史的大敗の責任を取り、チャ・ギョンボク監督は5日後にクラブに辞表を提出する。翌日にこれが受理された。チームを02年~04年の3連覇に導くなど、第2次黄金期を築き上げた名将のショッキングな辞任だった。さらにこの敗戦の心労もあってか、チャ監督は翌年に病に倒れ、この世を去ってしまう。
当時、チームのエースストライカーだったキム・ドフン(現城南一和コーチ/元ヴィッセル神戸)は「決勝進出を決めた瞬間、チャ監督のことを思い出した」と言う。決勝対戦相手がサウジのチームではない点を残念がるが、「トロフィーを獲得して、チャ監督の無念をはらしたい」。
04年大会のリベンジ。クラブヒストリー上のトラウマの払拭。城南一和には、絶対にカップを掲げなければならない理由がある。